その前に、瀧泉寺墓地にある国指定遺跡 青木昆陽のお墓へ行くことにします。
というのも、青木昆陽のお墓がある一角は目黒不動尊本堂からは離れており、
大鳥神社方面から向かうとこちらを最初に行った方が良いからです。
(青木昆陽 墓) |
青木昆陽の略歴は東京都教育委員会の掲示がありますので、
引用させて頂きます。
国指定史跡
青木昆陽 墓
所在地 目黒区下目黒三-二〇-二六滝泉寺内
指 定 昭和十八年五月一日
江戸中期の儒者。通称は文蔵。
元禄十一年 (一六九八) に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。
幕臣大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、
のち評定所儒者・書物奉行となる。
彼は八代将軍徳川吉宗 の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、
『和蘭文学略考』『和蘭貨幣考』『和蘭語訳』などを著述する。
また、『蕃薯考』を著し、救荒作物として甘藷 の栽培を奨励したために
”甘藷 先生”と呼ばれた。
一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。
明和六年(一七六九)歿。行年七十二歳。
昭和六十二年三月二十日建設
東京都教育委員会
(東京都教育委員会による掲示) |
「青木昆陽といえばサツマイモ」と条件反射的に覚えていた記憶がありますが、
古文書研究科・蘭学者としての顔も忘れてはいけませんね。
目黒を愛した昆陽の業績を称えるが如く、
ここ見晴らしの良い場所に墓所があるというのは納得ですね。
(青木昆陽墓 - 正面より) |
国指定史跡だけありそれなりに立派なお墓ではありますが、
もっと豪華なものを想像していました。
さて、いよいよ目黒不動尊へ向かうことに致します。
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