2017年9月29日金曜日

江戸川区散歩 ~馬頭公園から行船公園へ ~

今回は西葛西駅周辺の気になるところを散歩してみました。
出発地点はこちらの「馬頭公園」となります。
江戸川区は公園の多いエリアですが、
こちらは広めの公園で、緑が多くて開放的な雰囲気です。

(馬頭公園)

(木々に囲まれた芝生のグリーンが印象的)





































こちらの近くには「古川せせらぎ散歩」というコースがあり、
遊歩道も整備されていて歩きやすい道となっています。

(古川せせらぎ散歩のルート)

(道標が整備されています)





































しばらく歩くと、見落としてしまいそうな石碑ですが、
こちらが「馬頭橋」となります。
かつての橋の遺構ですね。

(馬頭橋)




















その近くには「馬頭観音」がございます。
馬頭観音保存会の方々により管理・維持されているようですが、
歴史的背景などの説明版はありませんでした。

(江戸川区馬頭観音)

(馬頭観音)

(馬頭観音)

(お地蔵様)








































































今では、戸建てとマンションが立ち並ぶ住宅街ですが、
馬頭観音の古い写真を見ると、昔は周りに何もない雰囲気です。

実は私は江戸川区葛西に住んでいたことがありますが、
地元の方の話を聞くと、地下鉄東西線ができるまで、
かなりの田舎だったという話をよく聞きます。
確かに、この辺りの町並みはそれほど古くない印象はありますね。

さて、馬頭観音を後にして向かうのは「行船公園」です。
お目当ては「江戸川区自然動物園」です。
こちらは公益財団法人えどがわ環境財団が運営する無料の動物園です。

(行船公園)

(江戸川区自然動物園)





































小さな動物園ではありますが、可愛い動物が多く、
なかなか癒されるスポットです。
お勧めの動物は以下の通りですね。

(レッサーパンダ)

(オオアリクイ)

(イチ押しはオグロプレーリードッグ)

(かわいいですね)

(フンボルトペンギン)

























































































ふれあいコーナーでは、ウサギやモルモットを抱いたり、
ヤギやヒツジに自由にさわれますので、
お子さんにはお勧めの企画です。
実際にふれあえるのは、午前10時から11時45分と
午後1時15分から3時の1日2回です。

(ふれあいコーナー)



















江戸川区はのんびりとした雰囲気が魅力かな?と思います。
公園も多く、散策には適した場所と思います。
駅近くにもこんなスポットがありますよ!という紹介でした。

2017年9月27日水曜日

南砂町の八幡さま - 富賀岡八幡宮

今回は、「南砂町の八幡さま」として地元で親しまれている
富賀岡八幡宮へ行って参りました。

(富賀岡八幡宮)



















富岡八幡宮は知っているけど、富賀岡八幡宮は知らない!
という方も多いかと思いますが、元々はこちらが先と言えます。
八幡さまの正面に、江東区による解説があるので引用致します。

(富賀岡八幡宮 - 案内板)



















 元八幡(富賀岡八幡宮)の名称は、一説によると、
富岡八幡宮を最初に勧請した所で、
寛永年間(1624-1643)の初めに今の深川へ移し、そのため、
寛文5年(1665)に旧地を元八幡と称したといわれています。
 この付近は松樹が生茂り、前方は広大なる海面で、風光明媚な所で
あったといわれています。また「江戸名所図会」や、
安藤広重の「名所江戸百景」などにも当時の様子が描かれています。

というわけで、神社の裏手の商店街は「元八幡通り」と言われ、
亀戸駅前と東陽町駅前を結ぶ、都バス・亀21の最寄りバス停は
「元八幡」となっております。

(元八幡通り)

(元八幡バス停 - 斜めに立ってますね~)





































ちなみに、鉄道の最寄駅は東京メトロ東西線・南砂町駅となっており、
約1Km程度の道程となっています。

早速、参拝へと向かいます。
歴史ある神社だけあり、境内は広々としております。
また、八幡保育園が併設されています。

(富岡八幡宮 - 鳥居)

(富岡八幡宮 - 手水舎)

(富岡八幡宮 - 拝殿)

(八幡保育園)







































































また、拝殿の奥に行きますと、立派な富士塚があるのも特徴です。
こちらの「砂町の富士塚」は砂村の富士信仰の象徴であり、
江東区指定有形民俗文化財に指定されています。
再び、江東区教育委員会の解説を引用致します。

(砂町の富士塚 - 解説版)



















 富賀岡八幡宮の富士塚は、江戸時代末の天保四年(一八三三)までに、
富士講のひとつ 山吉講 によって作られた富士塚です。
江戸時代後半に爆発的に広まり、「江戸八百八講」と称された富士講は、
信仰の対象であった富士山のうつしを住居の近くに築きました。
富士塚に登ることによって、本山に登山するのと同じ功徳が得られるものと
考えたのです。
 砂町の富士塚には頂上に向う登山口として、正面(西)に吉田口を、
背面(東)に大宮口を、右側面(北)に須走口を作っています。
現在では途中までしか行けませんが、中腹を真横に周回できるように
中道巡りの道が作られています。右(北)には宝永山を表す小さい高まりを作り、
塚の左裾には胎内と呼ぶ横穴を作っています。
頂上に登り、富士山の方角を拝すると浅間嶽大日如来碑と対面するようになっています。
 塚はもともと三〇mほど北にありました。
当初は土山だったようですが、昭和八年(一九三三)水害のため形が崩れたので
表面を溶岩(伊豆黒ボク石)で固め、昭和三七年(一九六二)現在地に移築されました。
 塚に附随している数多くの富士講碑により、
現在まで続く富士講の活発な活動をうかがうことができます。

平成一八年二月               江東区教育委員会

こちらの解説にありますように、こちらの富士塚には、
富士講碑がものすごく多いのが特徴です。
中には砲弾の形をしたものもあり、バラエティに富んでいます。
また、富士塚は残念ながら登っちゃダメ!ということです。

(砂町の富士塚 - 賑やかな雰囲気です)

(富士講碑)

(ちょうど真後にあります)

(境内社 - 浅間神社)


登れないなら、せめて周りを一周しようと思って裏へ行くと、

「神社の植木まで盗み心いやされますか?
 それを眺めるドロボーの心」

という立看板がありました。

神社の植木を盗む不届き者がいるということですね。
なんともけしからん話です(怒)。

(ドロボー向警告)



















また、富士塚の正面には「出羽三山の碑」がございます。
解説版があるのですが、木製の為字が所々消えており、
現在ではかなり読みにくいのが残念!

(出羽三山の碑)



















当地は、「イオンスタイル南砂」と「スナモ」という2つの
大型ショッピングセンターのちょうど中間地点にあります。
参拝帰りにお買い物も楽しめる、お勧めのスポットです。

2017年9月26日火曜日

旧小名木川駅周辺を散策

今は「アリオ北砂」となっている場所は、かつては越中島支線小名木川駅という
貨物専用駅でした。
今回は、そんな小名木川駅周辺を散策してみました。

まずは、工事臨時列車のみとはいえ、現役の貨物線である越中島支線をチェック。
小名木川にも近いこちらの「庚申架道橋」を見学致します。
庚申架道橋の下の道路は「庚申道」と呼ばれていた道路です。
こちらに江東区教育委員会の案内板がありますので引用致します。

庚申道跡 (大島一 - 一七 - 三八)

 明治通りから横十間川へ向かうこの道は、庚申道と呼ばれていました。
明治四十四年(一九一一)の東京逓信管理局作成の地図を見ると
「字庚申道」と記されています。
 この道の西側、大島一 - 一八に「釜屋堀庚申様地蔵尊」という
幟の建てられたお堂があります。このお堂は昭和六十二年(一九八七)頃まで
突き当たりにあり、「三つまたの庚申様」とも呼ばれていました。
昭和七年(一九三二)に刊行された『大島町誌』には、
「庚申堂」として旧大島村甲七十番地にあること、猿田彦大神を祀ること、
その由緒は未詳であることなどが記されています。
現在、堂内には青面金剛を浮き彫りにした庚申塔とお地蔵様が祀られ、
大切に守られています。
 かつては、道の中央に小川があり、子どもをたらいに入れて流すと
厄払いになるという言い伝えがありました。
また、沿道には八百屋・魚屋・駄菓子屋などが並びにぎわっていました。
「庚申道」の名は、この鉄道橋に今も残り、
新大橋通りが貫通する以前の大島の古い道と町並みの様子を偲ばせています。

平成六年(一九九四)三月  江東区教育委員会

(庚申架道橋 - レトロな雰囲気の橋です)

(庚申道跡の案内板)





































そんなわけで、こちらの通りを真直ぐに横十間川方向へ歩いていきますと、
「釜屋堀庚申塚・地蔵堂」がございます。
きれいなお花が活けてあるのが非常に印象的ですね。

(釜屋堀庚申塚・地蔵堂)



















さて、こちらからは横十間川へと歩いて行き、
大島橋の袂にある「釜屋堀公園」へ向かいます。
こちらは極普通の小さな公園に見えて、重要なモニュメントがあります。

(大島橋 - 奥には東京スカイツリーが見えます)



















まずはこちらの「釜屋跡」の石碑です。
こちらは、江戸時代の鋳物師, 釜屋六右衛門・釜屋七右衛門の鋳造所があった場所です。
そのお隣にあるのが、「化学肥料創業記念碑」となります。
当地は、明治初年、 渋沢栄一の支援を得て 高峰譲吉(1854年~1922年)が、
東京人造肥料会社(現在の日産化学工業)」を設立した場所でもあります。

(釜屋跡 - ちょっと目だない感じです)

(化学肥料創業記念碑)

(尊農と刻まれた石碑)






















































ちなみに、こちらの大島橋を渡って住吉方面へ向かいますと、
我らが「FC東京深川グランド」があります。

(FC東京深川グランド)



















こちらから小名木川方面へと向かうわけですが、
釜屋堀公園から見て、大島橋の対角線上には「釜屋堀子育地蔵堂」があります。
1651年(慶安4年) に作られたの石地蔵ということで、大事に祀られています。

(釜屋堀子育地蔵堂)

(お地蔵様)

(お堂のお隣にあります)






















































横十間川と小名木川が交差する場所にあるX字の橋が「小名木川クローバー橋」です。
1994年に完成したこちらの橋ですが、橋自体の景観もさることながら、
橋からみる景色もなかなかのものがあります。

(小名木川クローバー橋)



















こちらの住居表示街区案内図を見てください。
北砂二丁目には「国鉄小名木川駅」の表示がありますね。
国鉄がJRになったのが、1987年ですから30年前。
少なくともそれよりは古いということですね。

(住居表示街区案内図 - 年代物です)



















こちらから小名木川に沿って北砂緑道公園を歩きます。
そうしますと「釜屋の渡し跡」という案内版が目に入ります。
かつてはここに渡し船があったということですね。

(北砂緑道公園)

(釜屋の渡し跡の案内板)





































こちらのちょいと先にあるのが小名木川駅の記念碑。
「江東歳時記文学碑」と記されている石碑には、石田波郷による

小名木川駅春の上潮曇るなり

という句が刻まれています。



















石田波郷は砂町に住んでいた俳人です。
波郷関連の碑は、明治通り沿いの新開橋近くにもあります。

(石田波郷生誕百年記念碑)



















さて、こちらの明治通りを歩いていくと「アリオ北砂」があります。
交差点の表示は「小名木川駅前」となっていますね。
かつて駅があったことを示すためにあえて表記を変えていないのか、
予算の関係なのかはわかりませんが、このままの表記にしてほしいと思いますね。

(小名木川駅前のままです)
(アリオ北砂)






































アリオ北砂は大型のショッピングセンターですが、
小名木川駅がかなり大きい駅だったことがわかりますね。

これにて短い散策は終了。
小名木川沿いは遊歩道も整理されているので、
ちょっとした散歩には最適ですね。