2022年6月29日水曜日

本厚木から海老名へ ⑧ 總持院

有鹿神社の旧別当寺


海老名氏霊堂から有鹿神社へ向かう途中の道ですが、
かなりローカル色が強い感じがしまして、
無人野菜販売所なんかがあったりします。





そこをしばらく歩くと庚申塔群が目に入りました。
元々別の場所にあったものをまとめた感じがして、
やや傷みが目立つ感じはしますが、
こういった庚申塔が保存されているのは良い事ですね。





庚申塔を左折しまっすぐに向かうと有鹿神社ですが、
その手前に總持院がございます。

總持院は高野山真言宗の寺院で、
有鹿神社の別当寺だったとのこと。

奈良時代の 754年 (天平勝宝6年)に海老名の郷司である
藤原廣政が虚空蔵菩薩を本尊として創建したという古い寺院ですが、
今の寺院は現代的なお姿となっています。








境内は整備されており、日本庭園のような趣で、
落ち着いた雰囲気の良い寺院でしたね。

2022年6月27日月曜日

本厚木から海老名へ ⑦ 海老名氏霊堂

宝樹寺の跡地と伝えられる


神武社から有鹿神社へと向かう途中、海老名氏霊堂というのを見つけました。

こちらは、海老名氏の菩提寺であった宝樹寺(すでに廃寺)の跡地に
作られた霊堂とのことです。

住宅街の一画にあるのですが、
何とも味のある工場?の前に佇んでいます。










敷地内は随分と殺風景な印象ですが、
掲示版によりますと、周囲の遺跡からは建物跡なども発掘されているとのことです。

周囲は空地になっていますが、
この辺りには何か建てられる予定なのか?
その辺がちょっと気になってしまいました。

2022年6月26日日曜日

本厚木から海老名へ ⑥ 神武社

海老名市総鎮守・有鹿神社の境外摂社


安養院から有鹿神社へと向かうのですが、
途中、神武社に寄らせて頂くことに致します。

こちらは、有鹿神社の境外摂社です。





一見、普通の児童公園風ですが、
鳥居と小さいお社があるのがわかります。

神武社という名の通り、
神武天皇を祀っておられるとのことで、
お社には御神体である石碑がございます。






住宅街にこのようなお社があるのはなんとも贅沢な感じがするとともに、
古いものが現代に受け継がれているというのが実感できます。

2022年6月25日土曜日

本厚木から海老名へ ⑤ 安養院 & 弁財天社

格雲存孝により開山


三眼六足稲荷大権現から安養院へと向かいます。
同じ参道を通るわけですが、
こちらからはなるほど寺院だという光景が広がります。





安養院は曹洞宗の寺院で稲荷山と号します。
格雲守存 (?~1634) の開山と伝えられており、
江戸時代初期に歴史を遡る古い寺院であることがわかります。







ちなみに、安養院の裏手にある駐車場には、
弁財天社がありました。

こじんまりとはしていますが、
随分と立派な雰囲気を漂わせていますね。

こちらのご由緒等は全くわかりませんでしたが...




2022年6月24日金曜日

本厚木から海老名へ ④ 三眼六足稲荷大権現

三眼六足の白狐


厚木神社を後にして、相模川を渡って、
海老名市へと向かいます。

このエリアには相模大橋とあゆみ橋が架かっており、
私はあゆみ橋を左手に見ながら相模大橋を渡りました。





厚木神社から800m程の場所にある「三眼六足稲荷大権現」が次の目的地です。

安養院というお寺の境内にある立地となっています。







神社のご由緒は、この辺りを護ってくれた白狐を奉ってできたとのことで、
社殿にはその名の通り、三つの眼と前四足後ろ二足の白狐が彫られています。







ご由緒も立地形態もユニークなですね。
この後には安養院にも寄らせて頂きます。

2022年6月23日木曜日

本厚木から海老名へ ③ 厚木神社

那須与一が眼病平癒祈願した伝説あり


大鷲神社から相模川方面へと歩みを進めて、
厚木神社を目指します。





厚木神社は円融天皇 (969年~984年) の時代に、
藤原伊伊公により勧請されたと伝えられています。

厚木神社の尊称はご維新後だそうで、
元は牛頭天王と称されていたとのこと。

境内は重厚感のある佇まいですね。
相模川のすぐ近くという立地からか、
どことなく開放感も感じさせます。





境内社にも参拝させて頂きますが、
厚木稲荷神社は1777年 (安永六年) に勧請されたそうで、
歴史のあるものです。






当地がかつての中心地であったことを示すものとして、
烏山藩厚木役所跡の石碑があります。

今では随分とのどかな雰囲気ですが、
こういった石碑を見ると往時のにぎやかさが目に浮かぶ気がしますね。




2022年6月22日水曜日

本厚木から海老名へ ② 大鷲神社

酉の市で有名


御嶽山神社に続いて大鷲神社へと向かいます。








周辺も再開発されたような雰囲気があるからか、
こちらの大鷲神社と随分と新しい感じがします。

しかしながら、社殿の彫刻など見事なもので、
歴史を感じさせるものもあります。

こちらの神社は、当初は屋敷神だったそうですが、
明治中期頃に浅草にある鷲神社にならい酉の市が始まり、
いまでも11月の酉の日には開催されているとのこと。

こちらも厚木花街があったエリアに近いそうですが、
遊郭の遺構的なものはほとんど残っていないとのことです。

こちらの大鷲神社の近くには「諏訪海道」の石碑がありました。
厚木用水に沿った道であることの解説がありましたが、
ゴミ集積所のお隣りという何とも冴えない立地にあるのが気になりました。





こちらの近くには昔ながらの商店街があるのですが、
シャッターがおりているところが目立ち、
何とも寂しい雰囲気があります。

本厚木駅からこんなに近い場所なのに...という意外感を感じます。





2022年6月21日火曜日

本厚木から海老名へ ① 御嶽山神社

麻布地区の鎮守


本日は新宿駅から小田急小田原線に乗って50分程の本厚木までやってまいりました。
ここから海老名駅まで神社巡りをしながら歩き、
続いてJR相模線に乗って寒川神社を目指します。

本厚木駅は厚木市の中心駅だけあり栄えている印象ですが、
駅から少し離れると結構静かな雰囲気になりますね。







そんな本厚木駅から厚木駅方面へ5分弱線路沿いに歩いた場所にあるのが、
御嶽山神社となります。







鳥居は錆びついた感はあり、
草木がやや秩序なく生い茂ってはいますが、
石祠は威厳を保っているという雰囲気です。

鳥居もかつては色鮮やかで立派なものであったと思うと、
少々残念は気も致しますが...

ご由緒等についての説明はありませんでしたが、
こういった雰囲気のある神社が残っているのは、
街にとっては魅力をプラスする感じですね。

2022年6月20日月曜日

広尾から麻布十番へ ④ 麻布氷川神社

麻布地区の鎮守


有栖川宮記念公園を横断して向かうのは麻布氷川神社です。
途中、日本基督教団安藤記念教会の安藤記念教会会堂がございます。





1917年(大正6年)に竣工した教会で、
あの関東大震災前に竣工していたというから驚きです。
そして、アーチ型のステンドグラスは巨匠・小川三知の手によるものです。

こちらから徒歩すぐの場所にあるのが麻布氷川神社です。

麻布氷川神社のご由緒ですが、942年 (天慶5年) に源経基が
平将門の乱平定のため東征した折、
武蔵国豊島郡谷盛庄浅布冠の松(現麻布一本松)の地に創建されたという説と、
文明年間 (1469年~1487年)に太田道灌が再勧請したという説とがあるそうですが、
歴史のある神社であることは間違いありません。










神社自体は物静かなな雰囲気が漂うのですが、
背後には元麻布ヒルズフォレストタワーの巨大な姿が!

元麻布という土地柄か、
社殿が29階建ての高層ビルを従えているような構図は、
不思議にマッチするという感じです。






これにて散策は終了で、麻布十番駅まで徒歩で向かいます。
仙台坂を下って行けば駅に到着するのですが、
途中、駐日大韓民国大使館がある為だと思いますが、
警備の警察官の方の姿が目につきました。

2022年6月19日日曜日

広尾から麻布十番へ ③ 有栖川宮記念公園

有栖川宮御用地に造られた公園


さて、ここまで来たので有栖川宮記念公園に行ってみます。
大学生時代は定期的に来ていた場所ですので、
懐かしいという気持ちが強いですね。






有栖川宮記念公園のある場所ですが、
江戸時代は盛岡南部藩の下屋敷でした。

その後、1896年 (明治29年)に有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王の
栽仁(たねひと)王新邸造成の御用地となりました。

しかしながら、1913年 (大正2年) に、有栖川宮家が絶え、
大正天皇は第三皇子光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王に、
有栖川宮の旧称高松宮の称号を賜り高松宮御用地となりました。

その後、児童福祉を目的とする遊び場に深いご関心を寄せられていた高松宮殿下は、
故有栖川宮威仁親王の20年のご命日にあたる1934年 (昭和9年) に
この地を東京市に賜与され記念公園として開園することとなりました。

広尾が雰囲気の良い高級住宅地であるのは、
この公園あってのこととしみじみ思います。

公園内には素敵な銅像も多く、美術館的雰囲気も漂います。








広尾駅から離れた一画には東京都立中央図書館があります。
大学生時代によく来たというのは、
実はこちらの図書館に用があったからです。

当時は結構嫌々通っていたのですが、
こうして久しぶりに見るとなつかしさのが勝りますね。