2017年12月31日日曜日

田端散策 ③ 上田端八幡神社 & 大龍寺 & 八幡坂

劇団文化座の前の通り、続いて「上田端八幡神社」へと向かいます。
案内版に「村の鎮守の八幡神社」と記載されていますように、
こちらは上田端の鎮守であり、別当寺はお隣の大龍寺でした。
(下田端の方は、既にご紹介した「田端八幡神社」が鎮守となります。)

(劇団文化座 - 1942年に結成とのこと)














(上田端八幡神社)























そんなわけで、御由緒は田端八幡神社と同様、
1189年 (文治5年) に源頼朝が当地の豪族である豊島氏とともに、
奥州藤原氏一族を平定し、帰路に鶴岡八幡宮を勧請して創建されたと言われています。
また、境内社の白髭神社は、争いの杉の伝承を今に伝えているとのことです。
(残念ながら杉は現存しないようですが)

(拝殿)

(本殿)

(境内社 - 白髭神社)

(境内社 - 大山祇神社)













(境内社 - 稲荷神社)












































































こちらの神社ですが、境内付に近児童公園があるスタイル。
個人的にはこの地域との一体感のようなものが好きです。
そんな境内は昔ながらの神社の雰囲気を残しています。
子供の頃行った近所の神社の雰囲気に似ていると言いましょうか。。。

そんな上田端八幡神社のお隣は「大龍寺」がございます。
こちらは正岡子規の墓所があることでも有名ですが、
真言宗霊雲寺派の寺院です。
こちらは一転、近代的な佇まいの寺院で、
本堂は圧倒的な迫力がありますね。

(大龍寺山門)

(大龍精舎 & 正岡子規墓碑)

(大龍寺本堂)






















































これにてメインの神社巡りは終了となります。
帰りは「八幡坂」を通り、田端駅へと向かいます。
こちらも田端文士村巡りでは重要な場所になります。
再び、教育委員会の案内を引用致します。

坂の名は、坂下にある八幡神社に由来します。
坂下の上田端児童遊園のところにあった紅葉館に小説家の堀辰雄が下宿していたほか、
この坂の近くには、小説家の菊池寛、詩人の室生犀星、画家の倉田白羊、
彫刻家である吉田三郎や池田勇八が住んでいました。
芥川龍之介は、その随筆に
「踏石に小笹をあしらったのは、詩人室生犀星の家」
と書いています。

昭和63年3月
東京都北区教育委員会

(八幡坂)



















このエリアは、田端文士村散策という観点からもう一度来てみたいですね。
実は文士村的なスポットについてもいくつか回りましたが、
ちょっと細切れになった印象なので、今回はカットしました。
少し前に行った馬込同様、田端にも文学スポットが多いです。
すべてをカバーするのは無理ですが、学生時代に好きで読んでいた
「室生犀星」を軸に街歩きをしてみようかな?と密かに考えています。

(田端文士芸術村の案内板 -
多くの芸術家がこのエリアに居住していたのがわかります)


2017年12月30日土曜日

田端散策 ② 田端日枝神社 & ポプラ坂

続いて「田端日枝神社」へ向かいます。
付近は住宅が密集するエリアで、アパート風の建物も目立ちます。
そんな中、白亜の鳥居と高い木々が印象的な神社が
こちらの田端日枝神社となります。

(田端日枝神社)



















田端日枝神社は1624年 (寛永元年) 創建の古い神社です。
全体的にはかなり古いものがそのまま残っていますが、
鳥居と参道の手すりがやや新しいです。

神社内の雰囲気は、東京23区内とは思えないですね。
ちょっと田舎に来たような感じが致します。

(1923年(大正12年)に作られた狛犬)

(残念ながら風化が目立ちますね)

(田端日枝神社 - 拝殿)

(神額はやや新しめ)

(本殿でしょうか?)

(境内社)

(近くには廃墟チックな建物もありました)




























































































































さて、再びメインロードへ戻りますが、
その手前にあるのがポプラ坂です。

こちらの坂ですが、こちらにある田端保育園が
かつてのポプラ倶楽部であったことに由来します。
由緒については、東京都北区教育委員会の詳細な説明がありますので引用致します。

田端文士村
ポプラ坂

田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の名はこれにちなむものです。
ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)が作ったテニスコートで、
田端に住む洋画家の社交場となったものです。
陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、詩人の室生犀星、
小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでいました。
大正2年、田端に越してきた芥川龍之介は、その1ヵ月目に、
ポプラ倶楽部のことを手紙に書いています。

昭和62年10月
東京都北区教育委員会

赤くきれいに舗装された道路は往時を想像するのも困難ではありますが、
明治時代の日本を代表するビッグネームの方々が
この付近に住んでいたわけですね。

(田端保育園とポプラ坂)

(ポプラ坂 - 北区も案内板は充実しています)





































このポプラ坂近くには、北区立田端公園があります。
こちらは昔ながらの公園という感じで、
個人的には北区らしい雰囲気ではないか?などと思います。
こちらの公園付近は神社仏閣が多いエリアでもあります。
引き続き散策を続けます。

(北区立田端公園)



2017年12月28日木曜日

田端散策 ① 田端八幡神社 & 東覚寺

ちょっと遅い昼食後にいよいよ田端近辺の散策に出かけます。
田端駅と言えば、京浜東北線と山手線が分岐する交通の要所ではありますが、
正直、今一つマイナー感が漂います。
とはいえ、久しぶりに来ますと駅舎なども現代的にリニューアルした感じです。

(JR田端駅 - お洒落になりました)



















まずは、かつて田端に住んでいた文豪・芥川龍之介にちなんでつけらた
「りゅうのすけくん通り」を下り、田端八幡神社へと向かいます。

(りゅうのすけくん通り商店街の旗が見えます)



















田端八幡神社はかつての田端村の鎮守だった神社です。
歴史は古く、1189年 (文治5年) に源頼朝が当地の豪族である豊島氏とともに、
奥州藤原氏一族を平定し、帰路に鶴岡八幡宮を勧請して創建されたと言われています。

神輿庫がずらりと並ぶ参道を歩いて参拝へ向かいます。
社殿は丘の上にあります。
拝殿は重厚な造りで重みがあります。

(田端八幡神社)
(参道に神輿庫が並びます)

(田端八幡神社 - 拝殿)

(威厳ある佇まいです)








































































社殿へ向かう途中には、小さいながらも富士塚があり、
頂上には富士浅間神社があります。
こちらの緑の鳥居を見た時には、
思わず「霊験あらたか」という言葉が浮かびました。
非常に雰囲気のある神社です。

(富士塚へも参ります)

(田端山元講の石碑)

(美しい鳥居と富士浅間神社)

さて、田端八幡神社のお隣りには「赤紙仁王尊」があります。
一般的な知名度で言えば、こちらのほうが有名かもしれません。
特徴的なのは体中に赤紙が貼られた金剛力士像があることです。
病を患った人がその部分に相応する箇所に赤紙を仁王像に貼ると
治癒されると言われているため、仁王様には赤紙がいっぱいです。

(東覚寺 - 不動堂)

(赤紙仁王尊 - 阿像)


(赤紙仁王尊 - 吽像)

そんな仁王像があるのがこちらの東覚寺です。
1491年 (延徳3年) に源雅により神田に創建され、
当地へ移転されたのは1600年頃と言われています。
江戸時代までは田端八幡神社の別当寺でした。

(真言宗豊山派寺院 - 東覚寺)

(号は白龍山寿命院)




































こちらは道路拡張により新しくなった寺院とのこと。
そんなわけで、寺院自体は歴史のわりに新しい感じですね。

この拡張された通り沿いはごちゃごちゃとした下町の雰囲気はなく、
ちょっと明るい雰囲気が漂います。
とは言うものの、一本路地を入ると昔の雰囲気を感じさせるのが田端ですね。

引き続き、付近の神社を散策していきます。