2017年11月27日月曜日

田端駅近くのお蕎麦屋さん・福寿庵へ

本日は田端近辺の神社巡りを致します。
まずは、昼食を頂いてから!ということで、
田端八幡神社神社の近くのお蕎麦屋さん「福寿庵」へ伺います。

(福寿庵 - 外観)



















昼食には遅い時間だったからか先客は1名です。
TVでワイドショーを流している店内は、
カウンター席とテーブル席があります。
雰囲気的には本当に町のお蕎麦屋さんという感じです。

(店内の様子)














(メニュー)
























事前情報は特にないので、天ざる(並) 950円をオーダーします。
TVを見ながら待つことしばし、天ざるの到着です。

(天ざる - 950円)

(ボリューム満点のお蕎麦)

(天ぷら)























































まず目を惹くのがお蕎麦のボリュームですね。
並でも大盛という感じがします。
天ぷらは4品ですね。

お蕎麦の味はオーソドックスでくせのない感じですが、
コシもそこそこあってまずまずの味です。

天ぷらもわりとさらっと揚がっている感じですね。

お蕎麦をがっつり食べたい!
という時にはいい店かと思います。

福寿庵そば(蕎麦) / 田端駅西日暮里駅

昼総合点★★★☆☆ 3.0

2017年11月26日日曜日

西馬込から馬込へ ⑤ ~大田区立郷土博物館から馬込八幡神社へ ~

湯殿神社を後にして「大田区立郷土博物館」へ向かいます。
最近、この手の地元密着型の博物館へ良くいきますが、
展示が充実しているわりに、見物客が少ないな、と感じます。
ちょっともったいない気がしますね。

(大田区立郷土博物館)



















こちらの博物館も、小規模ながら展示は充実しており、
特に考古学系、馬込文士村を抱えるだけあり文学系が興味を惹かれます。
もちろん、産業系や地元お祭りなども揃っています。

(充実の考古学系展示)

(有名な大森貝塚も大田区です)

(郷土芸能)

(懐かしの展示 - お子さん連れにいいかも)

(海苔養殖 - 大田区は海に面していますね)

























































































入場が無料というのも嬉しいところです。

さて、ここから最後の目的地である「馬込八幡神社」へと向かいます。
馬込八幡神社は旧馬込村の総鎮守で、1193年 (建久4年) に
渡辺対馬守正久が、岩清水八幡宮の分霊を勧請、翌年遷宮したと伝えられています。


(村社 - 馬込八幡神社)

(神楽殿)

(境内社 - 氷川社と三峯社)

(参道)



近くの出世稲荷神社も湯殿神社も丘の上に建つという感じですが、
こちらは平地にどっしりと建っており、境内はきれいに整備されています。

お隣には旧別当寺である「長遠寺」がございます。
真言宗智山派の寺院で、馬込八幡神社の旧別当寺になります。

(長遠寺)

(本堂)

(六地蔵)






















































ここまで来ると、西馬込駅と馬込駅はほぼ同じくらいの距離になります。
そんなわけで、帰りは馬込駅から帰ることに致します。
第二京浜手前には素敵な雰囲気のお米屋さんもあったりしますね。

(馬込橋食糧 - 渋いお店です)



















今回は駆け足で回った感じがありますが、
馬込文士村という観点から文豪の足跡を辿るのも面白そうです。
また近い内に来たいと思います。

(都営浅草線馬込駅)







西馬込から馬込へ ④ ~熊谷恒子記念館から湯殿神社へ ~

引き続き、南馬込付近を散策致します。
「馬込文士村散歩」といった石碑がありますので、
これに沿って歩くというのも1つの手ですね。

(馬込文士村散歩 - 案内板)



















次の目的地は湯殿神社ですが、その前に、
「熊谷恒子記念館」へちょっと寄り道です。
熊谷恒子は現代女流かな書の第一人者ですが、
こちらの記念館は彼女が昭和11年に建てた自宅を記念館としたものです。

(熊谷恒子記念館)

(熊谷恒子さんについての解説)





































この付近は古い住宅も点在するエリアで、
緑が多いというより、鬱蒼と茂る木々という昔の雰囲気がありますね。

(旧家風の建物も点在します)



















さて、こちらが湯殿神社です。
湯殿神社の創建年代は不詳ですが、「根古屋谷の鎮守」だったそうで、
江戸時代には存在が確認されています。
湯殿神社というからには、山岳信仰を思わせますが、
なるほど、小高い山の上に建っています。
ちょっと古びた神社で味があります。
こちらもちょっと寂しげな児童公園が近くにありますね。
この神社と公園のセット感はこの付近では特に見られます。

(湯殿神社 - 鳥居)

(拝殿を臨む)

(拝殿)

(境内の洞)

(本殿)

(大田区立こうま児童公園 - 昔の公園という雰囲気)




2017年11月25日土曜日

西馬込から馬込へ ③ ~夢告観音から円乗院・善照寺へ ~

馬込と言えば、大正後期から昭和初期にかけて、
かつての東京府荏原郡馬込村を中心に多くの文士、芸術家が暮らしていました。
そんなわけで、この一帯は「馬込文士村」と呼ばれています。

(西馬込駅すぐの馬込文士村商店会)




















その名前を冠した商店会「馬込文士村商店会」を入るとすぐにあるのが、
「夢告観音」です。
こちらの観音様は、もともとこちらの場所にあったわけではなく、
色々な場所を転々とされたそうですね。
観音様は気品があり歴史を感じさせる佇まいです。

(商店街にぽつんと佇んでいる感じです)

(歴史を感じさせる観音様 - 由来も記載されています)





































商店街を抜けて、最初に訪問するのは高野山真言宗の「円乗院」です。
坂の途中にある現代的な寺院ですが、鎌倉時代末期、
天永法印によって草創されたと伝えられている古刹です。
御府内霊場88番中第19番札所、玉川霊場88番中第71番札所にもなっています。

(円乗院 - 山門)

(大師堂)

(本堂)






















































続いて、「出世稲荷神社」へと向かいます。
こちらの神社は一転クラシカルな趣があります。

児童公園と一体化した造りになっています。
創建年代等不詳だそうですが、それなりの歴史がありそうですね。
ちょっと傷みがあるのが気になります。

(出世稲荷神社 - 鳥居)

(拝殿)

(昔ながらの公園と一体化しています)






















































出世稲荷神社より更に上部には墓地も見えますが、
こちらは浄土真宗本願寺派寺院の「善照寺」です。
こちらは昭和21年創建の比較的新しい寺院です。

(善照寺 - 山門)

(善照寺 - 本堂)





































この辺りまで来ると、馬込文士村散策コースとなります。
ちょうど下校途中の小学生と一緒になり、
なかなか賑やかな中散策を続けることに致します。

2017年11月12日日曜日

西馬込から馬込へ ② ~ 林昌寺から馬込半白節成胡瓜 馬込大太三寸人参 発祥之地へ ~

子安八幡神社のお隣には、旧別当寺でもある日蓮宗寺院の「林昌寺」がございます。
1503年 (文亀3年)に池上本門寺の福寿院日迨の草庵として開創された古刹です。

子安八幡神社は少々傷みが目立ちましたが、
こちらのお寺は近代的な建物です。
特に大雄殿は現代的で目を見張るものがありますね。

(林昌寺 - 山門)

(林昌寺 - 本堂)

(林昌寺 - 大雄殿)






















































林昌寺を後にして再び西馬込駅方面へ戻ります。

途中、見晴らしの良い坂に出ますが、こちらが「六郎坂」です。
六郎坂には説明付の標識がありますので引用致します。

坂名は、江戸時代後期、池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷が
坂に沿ってあったことに由来する。
坂下の水路にかかる橋を六郎橋という。


(六郎坂の標識)

(六郎坂 - 見晴らしのいい坂ですね)





































仲池上、上池台付近は耕地整理によってできた坂道が多いとのことですがが、
この坂道は古くからある天然モノだそうです。

さて、やっと西馬込駅まで戻ってきました。
この日は少々暑かったので、ちょっと身体に堪えますね。
そして、ふと目に留まった石碑がこちらです。

(馬込半白節成胡瓜 馬込大太三寸人参 発祥之地)




















「馬込半白節成胡瓜 馬込大太三寸人参 発祥之地」

とあります。

ちょっと馴染みのない言葉が並んでいますが、
「馬込半白節成胡瓜」と「馬込大太三寸人参」というオリジナル野菜が
この地でかつて栽培されていたことを記念して建てられたものとのこと。

石碑の後ろ側に詳細な説明がありますが、
これら野菜も当地で作られたのは昭和38年頃までとのことです。
浅草線が開通する前から宅地化が進んでいたことがわかりますね。

さて、ここからは第二京浜を渡り、西馬込駅の東側を散策致します。