2020年11月30日月曜日

公津の杜駅から成田駅へ ④ 台方第六天神社 & 宗吾住宅

台方第六天神社へ


麻賀多神社・総本社から麻賀多神社・奥宮へ向かうのですが、
途中、Google Map上で見つけました「第六天神社」に寄らせて頂くことにします。

住宅街の細い路地を歩いていくので、
小さい祠のような感じを想定していましたが、
思いのほかご立派な鳥居と社殿があって驚きました。







境内には御由緒等の詳細はありませんでしたが、
鳥居も社殿も比較的新しいものとお見受けしました。

境内には辯財天も祀られていました。





ちょっとした穴場的スポットを見つけた気分です。

宗吾旧宅


なお、第六天神社は麻賀多神社から宗吾旧宅へ向かう途中にございます。

宗吾旧宅は、宗吾霊堂に祀られている義民・佐倉宗吾(本名:木内惣五郎)の生家で、
今現在も木内家がお屋敷を守られているとのことです。







400年以上も前の家がこのような形で残っているのは、
ただただ凄いとしか言いようがないですね。

宗吾霊堂の後に来ましたので、ちょっとした感動がありました。

2020年11月29日日曜日

公津の杜駅から成田駅へ ③ 麻賀多十八社の総本社 ~麻賀多神社・里宮 (成田市台方) ~

宗吾霊堂から麻賀多神社へ


宗吾霊堂に続いては麻賀多神社へと向かいます。
宗吾街道経由だと1.5Km程度の距離がありますが、
バスの便は極めて少ないので歩いていくことにします。

途中、「銃猟禁止区域」などいう物騒な看板も見えますが、
舗装された山道といった雰囲気の道を20分ほど歩くと、
麻賀多神社に到着します。








麻賀多十八社の総本社・麻賀多神社


成田市台方にある麻賀多神社は印旛郡市に18社ある「麻賀多十八社」の総本社です。
千葉県指定天然記念物でもある麻賀多神社の森に囲まれた、
流石に風格を感じさせる神社といったところです。





手水舎も風格のあるものですが、新型コロナウイルスの関係で、
使用が中止されているのが残念なところです。





石段を登っていくと、右手には祓戸社がございます。
この辺りも流石に賀多十八社の総本社といったところです。






ここで、麻賀多神社の御由緒について確認しておきます。
境内の石板から転載致します。

"麻賀多神社由緒
その昔日本武尊東征の折 この地方の五穀の実りが悪いのを知り 
里人を集め大木の虚に鏡を掛け その根本に七つの玉を埋めて 
伊勢神宮に祈願いたしましたところ その後は豊年がつゞきました
又三世紀の頃 印旛国造伊都許利命は この御鏡を霊代として祀られる
稚日霊命の霊示をうけ 玉を堀り御霊代として 稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り
麻賀真の大神と崇め 八代神津の両郷を神領として奉斎しました 
その後推古天皇十六年(608年)新に宮居をこの地に建て 麻賀多の大宮となづけました
 本地御鎮座以来一千三百六十余年 印旛郡下十八麻賀多の総社として
筒粥祭 御田植祭 豊年神楽などの古い儀式が継承され 
御祭神にゆかりのある古い地名等も現存しています 
又明治五年に郷社に 昭和十年御神本大杉は 県の天然記念樹に 
更に近年御本殿は市の文化財に 神域は史跡に撰ばれ 
産業 開運 長寿 厄除けの守護神として崇められていることはよく知られています
 こゝに伊勢神宮御遷宮記念の当社改修を機に 
本碑を奉献して神徳のいよいよ万民に 光被されんことを祈る次第です"

それでは参拝させて頂きます。
拝殿はまさに出来上がったかと見間違るほど、
木の香漂う静謐なものです。
思わず身が引き締まります。
本殿も趣のあるものでした。






ここで、樹齢1,400年を超えると言われる大杉へ向かいます。
まさにこれぞ御神木といった圧倒的な存在感がありますね。






最後に境内社も併せてお参りさせて頂きます。
天日津久神社と麻賀多大権現社が有名ですが、
その他にも多く鎮座されています。









交通の便が良いとは言えない神社ですが、
参拝客は結構多かったですね。
特に、七五三詣で一族で来ていた方々がいらっしゃいましたが、
境内は子供はちょっと歩きにくいところもあって、
お父さんに抱きかかえられていたのが印象的でした。

さて、ここからは麻賀多神社・奥宮へと向かうことに致します。

2020年11月27日金曜日

公津の杜駅から成田駅へ ② 東勝寺 (宗吾霊堂) へ

宗吾霊堂へのアクセス


成田市内では成田山新勝寺と並ぶメジャーな寺院ではありますが、
宗吾霊堂へは行きにくいイメージがあります。

バスが通っていますが本数は多くありません。

・成田市コミュニティバス 北須賀ルート 
   公津の杜駅から1日6本 
   https://www.city.narita.chiba.jp/content/000045766.pdf

・千葉交通 宗吾霊堂線
 京成成田駅から1日3本
 http://transfer.navitime.biz/chibakotsu/pc/diagram/BusDiagram?orvCode=00080581&rrCd=00055268&updown=1

宗吾霊堂バス停
(宗吾霊堂バス停)




従って、宗吾参道駅から1Km程度の道のりを歩くのが、
一番良いのかと思います。

私は公津の杜公園もちょっと見てみたかったので、
公津の杜駅から徒歩で行きましたが、
ちょうど2Km程度の距離でした。

義民・佐倉惣五郎の霊を祀る宗吾霊堂


東勝寺は真言宗豊山派の寺で、山号は鳴鐘山と号します。
開創年代についての詳細は不明ながらも、
桓武天皇の時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が創建したと言われる、
歴史ある寺院です。

ただこちらの寺院が有名なのは、
義民・佐倉惣五郎 (本名:木内 惣五郎, 通称:宗吾)の霊が祀られている為で、
宗吾霊堂の名の方が有名ですね。

参道脇には商店もあるようですが、
時間が早いせいかまだ開いていませんでした。






有名寺院だけあって、境内は広々として整っていますね。
参拝客もそれ程多くないので落ち着いた雰囲気となっています。









なお、義民・義民・佐倉宗吾の生涯については、
境内の宗吾御一代記館に詳しく説明されています。
等身大人形66体が13場面をリアルに再現しています。





境内は落ち着いた雰囲気と申し上げましたが、
この宗吾御一代記館の宣伝のアナウンスが
背景にずっと流れていたのが印象的です。

さて、次は麻賀多神社へと向かいます。

2020年11月25日水曜日

公津の杜駅から成田駅へ ① 公津の杜公園から道祖神へ

公津の杜駅からスタート!


今回のショートトリップは、公津の杜駅を出発、
宗吾霊堂から麻賀多神社を経由して、
成田ニュータウンへ、その後、成田駅へ向かうルートで、
半日程度の散策となりました。

「公津の杜駅」と言えば、成田空港へ行く際にいつも通るので、
何度も通過はしていますが、実際に下車するのは初めてです。

近代的で妙に立派な駅舎に加えて、
駅前にはユアエルム成田店がどっしりと構える、
いまにも新興住宅街の中心といった雰囲気を感じさせます。






ここからまずは公津の杜公園方面へと歩いていきます。
公津の杜公園は、流石に都内の公園とは違って広々とした雰囲気です。
子供達ものびのびと遊んでいます。






そんな公津の杜公園の外周を沿って歩いていきますと、
立派な鳥居がございます。





こちらの扁額には道祖神と書かれていて、
確かに道祖神が鎮座されています。






古くからある道祖神をこのような形でお祀りしているのは、
それ程多くは見かけない光景です。

この付近から公津の杜公園を見ると、
公津の杜駅付近のマンション群は背景に映えて、
近代的な田園都市といった雰囲気に見えます。





ただ、こちらから宗吾街道沿いに宗吾霊堂方面へ向かいますと、
一転してローカルな雰囲気が濃厚になっていきます。




2020年11月24日火曜日

若松河田駅から曙町駅へ ⑦ 中守稲荷神社

市谷薬王寺町の隠れ家的神社


牛込柳町天祖神社から牛込柳町駅まで戻り、
曙町方面へと歩を進め、最終目的地である中守稲荷神社へ向かいます。

銀杏坂からちょっと奥まった住宅街にある神社で、
Google先生のお導きがなければ到着できないかな?という感じです。
少なくとも偶然に見つける確率はかなり低いです。

こちらの神社は御由緒書等がなく、
ネットにも詳しい情報がないため御由緒等は不明です。








ただ、何となく牛込がまだ田舎だった時期の雰囲気はこんな感じかな?
というのを思わせる佇まいのように感じます。
(単に暗くなっただけかもしれませんが...)

さて、これにて本日のショートトリップは終了、
都営新宿線曙町駅から帰路につきます。





この付近は東京メトロ東西線、都営地下鉄大江戸線、都営地下鉄新宿線が、
並行して走っているエリアですので、
縦に切るように散策すると新しい発見がありますね。

2020年11月23日月曜日

若松河田駅から曙町駅へ ⑥ 牛込柳町天祖神社

原町一丁目の鎮守


宝禄稲荷神社から更に牛込柳町駅方面へと歩いていきます。
11月ともなると午後5時前でも結構暗くなりますので、
先を急いで牛込柳町天祖神社へと向かいます。

こちらが牛込柳町天祖神社ですが、
都会らしい雰囲気の宝禄稲荷神社と比べますと、
随分とクラシカルな雰囲気で、
どっしりと構えた神門には威厳を感じます。





境内にある手水舎も同様に趣のあるものですね。
ポンプ式のようですが、井戸も現役なのでしょうか?





このような神社ですので、
当然歴史も古いものがあります。
境内にはご立派な由緒書きがありましたので引用致します。

"天祖神社由来

慶長年間(江戸時代初め、四百年ほど前)、
諸国で神踊りが流行した時に、牛込の里は、
とくに神踊りが盛んであった。
この頃、この辺りに長兵衛という、たいへん信仰心の篤い里人がいたが、
ある時、神が夢の中に現われ給うて、
「我ここに住みて諸人の苦難を救わん」と言われることが、五晩続いた。
そこで長兵衛はいよいよ信心を深めて、まるで、
そこにおられるかのように神を祀った。
それを聞いた大橋龍慶という長者が、天照皇大神宮を勧請して祠を建て、
その後、諸難消除祈願、病気平癒祈願、安産祈願、弓術皆中祈願などで、
お参りするが人が絶えることなく、霊験あらたかな神社として知られ、
原町一丁目の鎮守として、今日も多くの人々に信仰されている。
御祭神は天照皇大神、境内には桃の神を祀った桃祖神社がある。

平成十四年十一月           原町一丁目町会"

なるほど、長兵衛と大橋龍慶の連係のような形でできた神社というわけですね。

社殿は比較的新しいもののようですが、
落ち着いた佇まいです。








併せて、境内社の桃祖神社にも参拝させて頂きます。






桃祖神社は、桃の神を祀る神社で、
安産成就にご利益があるとのこと。
こちらにも詳細な御由緒が記されています。

こちらの神社の境内は土の部分も多く、
昔ながらの神社の味わいを今に残しているという意味でも、
ここ新宿区内では貴重な空間と言ってよいのではないかと思います。