2017年9月20日水曜日

武州妙安禅寺 江東馬頭観世音 へ

今回は江東区にある「武州妙安禅寺 江東馬頭観世音」へ行って参りました。
交通の便はあまりよくない場所で、住吉駅、もしくは、東陽町駅から
ともに2Km弱の場所に位置します。

(武州妙安禅寺 江東馬頭観世音)




















馬頭観音は、観音菩薩の変化身であり、六観音の一尊です。
馬頭観音の梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意であり、
ヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌ (卑紐拏) の異名でもあります。

かつて江東区のこちらの一帯は馬力運送に携わっていた業者が集中していたエリアです。
馬力運送で活躍した馬たちの多くは、徴用や空襲で戦死を遂げたとのことで、
これら愛馬の霊を弔うためにこの地に馬頭観世音が設置されたとのことです。

(住宅に挟まれるような形です)

(馬頭観世音)





































詳細については、石碑に詳細な解説がありますので引用致します。

江東馬頭観世音由来の碑

昭和二十年三月九日夜半の大空襲により江東方面は焦土と化し
殉難者は目を覆うばかりの惨状を呈した
また戦局が激しさを加えるに伴い石油が欠乏し
国内の輸送は専ら牛馬車のみに大きく依存された
江東地区特に砂町大島亀戸深川一帯は
東京都内において当時最も多くの輓馬業者が集中し
牛馬の頭数三千有余居りその大半が空襲で厩舎や路上で焼死し
さらに戦時中は軍馬として江東方面から多数徴用され
大陸や南方において数多くの馬が戦死をとげたのである

昭和二十八年九月輓馬による運送業者が中心となり
これら愛馬の諸霊を弔い平和祈願をこめて
この地に江東馬頭観世音を建立したものである

大空襲後三十三回忌を迎えるにあたりこの志を継ぐ者が相寄り慰霊の由来を記し
ここに碑を建立して永く世にこれを傳えることになった。

昭和五十二年三月十日
    江東馬頭観世音講





















馬頭観音については、近くの猿江神社にもございます。
また、武州妙安禅寺は東松山にあり、馬頭観音としては
関東地方随一の霊場と言われます。
どちらも近々訪問する予定ですので、改めてレポート致します。

(馬頭観世音から通りを眺めたところ - 住宅街の中にあるのがわかります)


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