2017年9月21日木曜日

志演尊空神社 & 石田波郷宅跡 へ

清洲橋通りを江東区東砂から台東区入谷へ向けて走ると、
越中島支線という貨物船の下を通ることになります。
こちらの手前にある神社が「志演尊空神社」となります。

(志演尊空神社 - 手前が清洲橋通り)



















志演尊空神社 (しのぶそんくうじんじゃ) は、
志演神社と、尊空神社が昭和22年合祀された神社です。
志演神社は、1624年 (寛永元年) 年に深川郷唐島開発の際、
当地に訪れた菅原長寛 (道真公より22代目)が、
村民の要請を受け小名木村八右衛門新田の氏神として
稲荷大神を勧請したことから歴史が始まります。
一方、尊空神社は尊空親王 (伏見邦頼親王の御子、知恩院第三六世門主)を
奉斎した神社です。

(志演神社とあります)

(志演尊空神社 御由緒)











































それほど広くはない境内ですが、都内最古の力石があったり、
当地が野菜の促成栽培発祥の地であることを示す看板があったりと、
見所もあります。
古き良き神社という風格がある神社です。

(志演尊空神社)

(手水舎)

(志演尊空神社 - 鳥居)

(志演尊空神社 - 拝殿)

(野菜の促成栽培発祥の地 - 砂村)

























































































さて、こちらの神社からすぐの場所には「石田波郷宅跡」がございます。
石田波郷 (1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、
愛媛県松山市で生まれ、1946年 (昭和21年) 3月に当地に移り住み、
1958年(昭和33年) まで居を構えました。
当地では砂町を愛した詩人として親しまれています。

(石田波郷宅跡)

(石田波郷宅跡は民家)





































現在は一般に民家ということで見学等はできませんが、
非常に立派なお宅であることが印象的でした。

お隣の妙久寺には

蘩蔞や焦土のいろの雀ども  波郷

の句碑が残っているとのことです。

この後、妙久寺に行ったのですが、句碑は見つけられず。。。
石田波郷については、江東区内に記念館もありますので、
改めて足跡を辿る旅をしてみたいな、と考えています。

(日蓮宗の天霊山・妙久寺)

(山門)

(本堂)



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