2017年9月10日日曜日

旧東海道品川散歩 ② ~ 大井競馬場前から鈴ヶ森刑場へ ~

都営バス・「品93」大井競馬場前行にのって到着したのが、
こちらの大井競馬場です。レースがないから静かですね。
バスを降りたのも私一人という寂しさです。

(大井競馬場 - 奥がバス停になっています)



















さて、ここから600m程歩いて、最初の目的地である
「鈴ヶ森刑場跡」へと向かいます。

(東京都史跡 鈴ヶ森刑場遺跡)




















鈴ヶ森刑場は1651年(慶安4年)開設されました。
1871年(明治4年)閉鎖されまでの220年間の間に
10万人~20万人が処刑されたと言われています。
最初の処刑者は丸橋忠弥 (由比正雪の乱の首謀者の一人)と言われており、
その他にも平井権八 (=白井 権八)、天一坊、八百屋お七と言った
古典芸能で有名な人物が処刑されています。

刑場跡は当時の広さはないとのことですが、
磔台や火炙り台の跡なども残されています。

磔台の説明には

「丸橋忠弥を初め罪人がこの台の上で処刑された
 真中の穴に丈余の角柱が立てられその上部に縛りつけて刺殺したのである」

とあります。

(磔台)




















また、火炙り台の説明には

「八百屋お七をはじめ火炙の処刑者は皆この石上で生きたまヽ焼き殺された
 真中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである」

とあります。

(火炙り台)




















他にも、「首洗いの井戸」が残されていますが、
こちらは完全に金網でガードされています。

(首洗いの井戸)




















刑場奥には、鈴森山 大経寺があります。
大経寺は、鈴ヶ森刑場の無縁受刑者供養の為に鈴ヶ森刑場が
開設した頃に堂宇が建立されたと伝えられています。

(鈴森山 大経寺)



















この付近は普通の住宅街という雰囲気ですが、
この地で多くの人々が処刑されたというのは史実を考えると、
非常に複雑な気持ちになりますね。
まずは、受刑者の方のご冥福をお祈りしたいところです。

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