歩き始めるとすぐに、濱川神社があります。
(濱川神社 - 入口は施錠されています) |
(濱川神社 - こう見ると神秘的です) |
こちらの神社ですが、マンションの2階部分にあるというユニークな構造。
入口は施錠されているので、参拝することはできません。
こちらの「浜川神社文書」というものが、品川区指定有形文化財であることより、
品川区教育委員会による神社の説明版が設置されています。
内容は以下の通りです。
浜川神社は、江戸時代・天明の頃に修験者・教光院了善が厄神大権現
として祀ったことに始まる。
明治維新後、神社となり浜川神社と称した。
厄神の信徒は上総・安房にも及び現在に至っている。
浜川神社文書は、前身である厄神社(厄神大権現)および浜川神社に関する
文書と証文類で構成されている。
保存状態もよく、大井地区の歴史だけでなく、
江戸時代から近代に至る神社史を知る上でも貴重な資料である。
(浜川神社文書についての説明) |
なるほど、それなりに古い歴史の神社であることがわかりますが、
空中に浮かびアクセスできないということでミステリアスでもあります。
さて、再び旧東海道を歩きます。
この付近はごく普通の住宅街の道路という雰囲気が続きます。
(旧東海道) |
そんな中、こじんまりとした神社がありますが、こちらは海運稲荷神社です。
御由緒など詳細は全くわかりませんでしたが、
こちらの駐車場の看板が唯一、こちらが海運稲荷神社であることを示しています。
(駐車場は神社の経営なんでしょう。。。)
(海運稲荷神社) |
(社殿) |
(力石) |
(海運稲荷神社の月極有料駐車場) |
さて、再び歩を進めると一際立派な神社がありますが、
こちらが濱川総鎮守である天祖・諏訪神社です。
(天祖・諏訪神社鳥居) |
天祖神社と諏訪神社が合祀されたのが昭和40年のことです。
天祖神社の創建は建久年間(1190年 - 1199年)と考えられており、
諏訪神社は松平土佐守の下屋敷の海岸寄りにあり、
寛永8年(1631年)以前の創建と考えられています。
(天祖諏訪神社 御由緒) |
流石に総鎮守ということで、境内は広く、手入れが行き届いている感じです。
私の参拝中にも、地元の方々がお参りに見えれられており、
地元に根付いているのが垣間見れます。
(手水舎) |
(社務所) |
(社殿) |
また、境内末社の厳島神社も優雅な佇まいをみせていますね。
弁天池で優雅に泳ぐ錦鯉も必見です。
(厳島神社鳥居) |
(厳島神社社殿) |
(弁天池を優雅に泳ぐ鯉) |
再び旧東海道に戻り、天祖・諏訪神社からすぐのところにあるのが濱川橋です。
現在の橋は1934年(昭和9年)に架けられたものですが、
最初に橋が架かったのは1600年頃と言われています。
(浜川橋 - 遠景) |
(浜川橋 - 近景) |
この橋の別名は泪橋と言われますが、その理由は、
鈴ヶ森刑場で処刑される罪人が護送されるとき、
その親族たちが密かに見送りにきて、
この橋を最後に涙で別れたと言われることから名づけられました。
(浜川橋 = 泪橋 の解説) |
鈴ヶ森刑場からこちらに来ると、ぐっとくるエピソードであります。
さあ、続いては坂本龍馬の足跡を辿ります。
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