途中、環七通り沿いにある商店会「野方二丁目商盛会」を通ります。
(野方二丁目商盛会) |
古い建物の並ぶ味のある商店会ですが、
営業しているのは確認できたところ1店舗。
この手の商店会が寂れていくのは時代の流れとは言え残念。
しかし、中野の人口密集地帯でこの感じですから、
地方は猶更厳しいでしょうね。
(営業していないお店が多い) |
さて、こちらの商店会のすぐ近くに目指す「三谷稲荷社」はございます。
住宅街に溶け込み過ぎていて、ちょっと見では通り過ぎてしまうかも?
(三谷稲荷社 - 遠景) |
小さい神社ながら江戸時代からの歴史を持つ神社です。
沿革については境内の石碑に詳しく記されているので引用致します。
(三谷稲荷社の沿革) |
三谷稲荷の沿革
当社の創祀は不詳なれど江戸時代と推測され
部落民の崇敬篤き社なりしと伝う
明治十二年二月初午よりの祭事は秋元久太郎 秋元七十五郎 秋元藤吉 秋元兼吉
秋元イチ 矢島吉五郎 矢島金次郎 芹田徳蔵 矢島政右衛門の九名より成る
講中が執行せし事資料に依り明白なり
逐年の祭事は今なほ子孫が継続す
抑々稲荷社の御祭神は宇迦之御魂神と稱し
五穀豊穣を司る神であり米食を主とする日本人が
稲作の豊かなるを祈願し農耕神として信仰なしたるが
時代の推移と共に崇敬するもの多くなり
江戸時代に於ては商業神 屋敷神として盛に勧請され農家のみの信仰対象に止まらず
広範なる産業神として信仰されるに至れり
当社地内に古くより御神木として椿一株樹立致せしが
昭和二十六年惜しくも枯損なし伐採せるも
現今その後葉が芽を出したり
昭和四十年二月初午の日に現在の崇敬者講中赤心会議の末新社殿を奉納す
昭和四十年二月初午 三谷講中
境内は良く管理維持されているのがわかります。
清々しい空間ですね。
(三谷稲荷社) |
このまま中野区をしばらく散策致します。
次は御嶽神社へ向かいます。
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