2017年1月1日日曜日

早稲田・神社仏閣巡り ① 穴八幡宮から放生寺・龍泉院へ

 前回、飯田橋から早稲田までの散策のブログを書いていて、
別の日に早稲田周辺の神社仏閣巡りをしたことを思い出しました。
今回はその時のレポートとなります。

まずは、早稲田周辺では一番メジャーと言ってもいいでしょう、
穴八幡宮へ向かいます。
私が初めて早稲田に来た時に、
早稲田大学校歌の「都の西北 早稲田の森に」というフレーズが浮かび、
その早稲田の森とはここのことかな?と思ったくらい、木々が印象的です。

(穴八幡宮)




















穴八幡宮の歴史は古く、1062年(康平5年) 源義家(八幡太郎義家)が
奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、
八幡神を祀ったのが起源との事です。

では、穴八幡宮へと歩を進めます。
まず、鳥居すぐの場所に「高田馬場の流鏑馬」のプレートが目に入ります。 

(高田馬場の流鏑馬)

(流鏑馬像 かっこいいですね)






































高田馬場流鏑馬は1728年(享保13年)、
徳川八代将軍吉宗が世嗣(よつぎ)の疱瘡平癒(ほうそうへいゆ)祈願のために、
穴八幡宮神社へ奉納したことが起源と言われています。
こちらには、かっこいい流鏑馬の像もありますね。

さて、階段を登り、もう一つの鳥居をくぐると鮮やかな朱色の建物が目に入ります。
こちらが「光寮門」で 随神門とも呼ばれています。
もともとは、清水建設の前身である清水組の創業者である清水喜助が
1849年(嘉永2年)に竣工したとのこと。
1945年の空襲で焼失した建物ですが、
1989年に清水建設の英知を結集して再建されました。
この辺りの詳細は清水建設のホームページに記載があります。

http://www.shimz.co.jp/shazi/guidance/case01.html

(穴八幡宮 鳥居)

(光寮門)






































続いて社殿に向かいます。
こちらも清水建設によって、1992年12月に竣工されたものです。
境内はかなり広めで、早稲田近辺の雑踏とは一線を画す雰囲気ですね。
この静かな穴八幡宮ですが、冬至以降は御守を求める人で大混雑となります。

(社殿)

(布袋尊)






































穴八幡宮と言えば、「一陽来復」の御守で有名ですが、こちらの意味するところは

「冬が終わり春が来ること。新年が来ること。
また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。
陰の気がきわまって陽の気にかえる意から。
▽もと易の語。陰暦十月は坤こんの卦かにあたり、
十一月は復の卦にあたり、陰ばかりの中に陽が戻って来たことになる。
「復」は陰暦十一月、また、冬至のこと。」
(出典:新明解四字熟語辞典)

上記の意味からもお分かりの通り、「一陽来復」の御守は
「冬至」の御守としても知られています。
冬至は1年の内で最も陽が短く、「陰の極まる日」であり、
ここからは陽に転じていくというわけです。
ちなみに、こちらのお守りを受け取れる期間は
毎年冬至の日から翌年節分の日までとなっています。

続いて向かうのは、穴八幡宮にもゆかりがある、
高野山真言宗準別格本山の寺院である 光松山 放生寺です。
歴史は古く、1641年(寛永18年)に穴八幡宮(高田八幡)の別当寺として穴八幡宮の隣に創建されたのが始まりとのことです。
参道が坂になっているのが印象的な寺院ですね。

(光松山 放生寺)




















さらに早稲田通りを横切り、真言宗智山派寺院の龍泉院へと向かいます。
こちらも、1669年(寛文9年)に日賢上人が開山となり創建したといわれる古いお寺です。

(龍泉院)




















ここから早大南門通りを歩いていくと、早稲田大学はすぐそばとなります。

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