2017年1月24日火曜日

小松川境川親水公園沿いの神社・仏閣巡り ⑤ 六字名号塔と寛正六年月待供養画像板碑

 さて、神社仏閣巡りはこれにて終了ですが、折角ここまで来たので、
近くにある2つの史跡を巡ることに致します。
まずは、「六字名号塔」(葛飾区登録有形民俗文化財)へと向かいます。
六字名号とは「南無阿弥陀仏」のことで、意味するところは、
「南無」=「帰依する」なので、「阿弥陀仏に帰依する」ということになります。

(六字名号塔)

(六字名号塔 近くから)

(六字名号塔の解説)
























































こちらの六字名号塔には、葛飾区教育委員会の解説がありますので、
そのまま引用することに致します。

 江戸時代中期以降、多くの廻国行者(六十六部あるいは六部とも。
66カ国を巡拝し、一国一カ所の霊場に法華経を一部ずつ奉納する宗教者のこと)は
全国各地に供養塔を建立しました。
  この供養塔は、享保16年(1731)11月、六十六部佐藤次良ヱ門が中心となって建てられました。石碑にはそれぞれ、正面に「南無阿弥陀仏」、
右側面に「念佛修業橋造立上下之割村々志為二世安楽」、
左側面に「三界萬霊」と刻まれています。
  この供養塔には伝承があり、願主の佐藤次良ヱ門は同じ年に二人の子どもを亡くし、
その供養のために廻国行者となって全国を行脚しました。
帰村後、村を流れる枝川の橋の基礎部分を寄進し、
橋が完成したことを記念し、また子どもの供養、旅の安全への感謝を兼ねて、
近隣の人々と一緒にこの供養塔を建立しました。


こちらは、そこそこ交通の要所的な場所にあり、車も多く通りますが、
足を止めてみる方はそれほど多くない感じですね。

ここから総武線に架かる陸橋を渡り、最後の目的地「寛正六年月待供養画像板碑」
「月待」とは、十五夜,十九夜,二十三夜などの月齢の夜,
講員が寄り合って飲食をともにし月の出を待つ行事のことです。

(寛正六年月待供養画像板碑)

(寛正六年月待供養画像板碑・近景)

(板碑 - 美しいですね)

(寛正六年月待供養画像板碑の解説)















































































こちらにも、葛飾区教育委員会の解説がありますので、そのまま引用致します。

この石碑は、寛正6年(1465)に月待信仰で結ばれた人々によって建てられたものです。
  秩父の緑泥片岩製で、高さ97cm、幅34cm、上部に日月を配し、中央に阿弥陀如来一尊の来迎像を現し、下部に香炉、花瓶、燭台を置いた小卓がみられます。碑は完形にちかく、年号のほか、「月待供養結衆」の文字と28名の法名等もよく残っており、区内の板碑の中で例の少ない画像板碑です。
  なお、この板碑には阿弥陀如来像が刻まれていますが、古くから地元では「二十三夜の勢至様」としてまつられています

こちらの石碑ですが、非常に優雅な佇まいで、美しい石碑です。
こちらですが、住宅街の真ん中にあって、住宅と駐車場の間にある、
非常にわかりにくい場所にあります。
ちょっと注意して見つけてみましょう。


0 件のコメント:

コメントを投稿