2017年1月13日金曜日

日本消防会館(ニッショーホール) の消防団情報プラザを見学

 先般、明船鮨でのランチレポートを致しましたが、
こちらのお寿司屋さんのあるビルが日本消防会館(ニッショーホール)です。
地下の飲食店街(ニッショーホール飲食店街)は付近のサラリーマンにはお馴染みですが、
意外と1階に消防団情報プラザという展示コーナーをご存じない方も多いです。
こちらでは、消防団の歴史や東日本大震災での消防救助といった、
消防に関する情報を展示しているコーナーがあります。
展示スペースはそれ程広くないですが、パネルを駆使して、
消防の情報がコンパクトに展示されていますので、
お近くに行かれた際は、ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

(日本消防会館)

(消防団情報プラザ)

(日本消防の歩みの展示)

(東日本大震災関連)










































































 こちらの展示以外にも注目は、入口付近にある、昔の消防設備の展示ですね。
こちらは、1860年に英国で製造された「ペルー蒸気消防車」や
明治21年と昭和初期に製造された腕用ポンプなど貴重なものが展示されています。

(ペルー蒸気消防車)

(昭和初期に製造された腕用ポンプ)

(こちらは明治21年製です)
























































 また、この近くには「義士洗足の井戸」があります。
こちらは、赤穂浪士にちなむモニュメントです。
以下、碑文を引用致します。

元禄のころ、このあたりに大目付、仙石伯耆守の屋敷があった。
大目付とは老中の配下にあって政務を監督し、諸大名の行動を観察した役職である。
元禄十五年(1702)十二月十五日朝、大石良雄以下四十七名の赤穂浪士が
本所吉良邸に討入り、主君浅野内匠頭の無念を晴らし武士の本懐を遂げた。

吉良邸を引きあげて芝泉岳寺にある主君の墓前に向かう途中、
大石良雄は部下二名の者を仙石伯耆守邸に差し向け自主させた。
その際に両名の義士は邸内の井戸で洗足して座敷にあがったと言う。
この史実をもとにこの井戸を作り、後世にあまねく伝承するものである。

昭和五十六年十一月吉日

財団法人 日本消防協会

 赤穂浪士にちなむと言いながらも、ちょっと西洋風の井戸ですね。

(義士洗足の井戸)

(義士洗足の井戸の説明)


0 件のコメント:

コメントを投稿