淀屋橋から本町にかけても散策しましたので、面白い建物をランダムに取り上げます。
まずは、こちらの「銅座の跡」です。
銅座(どうざ)とは、江戸時代に銅の取引や銅の鋳造を行った場所を言います。
1766年(明和3年)に設置された銅座は、国内で産出した銅の精錬・売買を独占、
日本国内諸々の場所で産出した銅を、銅吹仲間に精練させて、
そのあと海路で長崎へ回送し輸出されました。
(そんなわけで、長崎には今でも銅座町という地名があります。)
(銅座の跡の石碑) |
(銅座の跡・石碑アップで) |
こちらの背後の建物ですが、何というか、門構えだけ見ると武家屋敷のような佇まいですね。
そして、「銅座の跡」の石碑もあるので、往時を偲ばせる建物と思いきや、
こちらは何と現役の幼稚園園舎!かなりのサプライズですね。
こちらは「大阪市立愛珠幼稚園」です。こちらの建物(私の訪問時は修繕工事中でしたが)は、
1901年(明治34年)の建築
何でも日本最古の木造園舎とのことで、国(文化庁)より
重要文化財建造物の指定を受けております。
(大阪市立愛珠幼稚園) |
(重要文化財指定書) |
さて、銅座を後にして、次は200mほど離れた「オペラ・ドメーヌ 高麗橋」へと向かいます。
こちらは、1912年(明治45年)に『大阪教育生命保険ビル』として誕生した古いビルです。
今では結婚式場として利用しているそうです。
設計は辰野金吾氏が手掛けております。
先般ご紹介した、日本銀行大阪支店も辰野氏の設計です。
一部は改装されているとはいえ、これだけ古い建物が、
現役で活躍しているのは嬉しいところですね。
(オペラ・ドメーヌ 高麗橋) |
続いては、お隣の建物 「浪花教会」へ。
浪花教会の建物は、1930年にアメリカ人建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ
(1880年 – 1964年: 建築家にして、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の
創立者の一人としてメンソレータムを広く日本に普及させた実業家、
そしてプロテスタントの信徒伝道者)が指導し、
竹中工務店が設計・施工したものとのことです。
内部もきれいだそうですが、今回は外観のみで我慢です。
(浪花教会・外観) |
(エントランス付近) |
最後は本町方面へと向かい「綿業会館」 へと歩みを進めます。
こちらの建物もほぼ同年代の1931年12月に、
日本綿業倶楽部の施設として建設されました。
毎月第4土曜に見学できるそうですが、こちらも外観だけで我慢です。
(綿業会館) |
(日本綿業倶楽部の看板と 重要文化財を示すプレート) |
今回は、非常に駆け足での散策でしたが、大阪はじっくり見てみたいですね、
いつも出張のついでばかりではちと残念。
そんなことを思いました。
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