2017年1月6日金曜日

大阪・堂島川周辺散歩 ④ 「銅座の跡」とその周辺

 この日の大阪散歩は、堂島川沿いを中心に行いましたが、
淀屋橋から本町にかけても散策しましたので、面白い建物をランダムに取り上げます。

まずは、こちらの「銅座の跡」です。
銅座(どうざ)とは、江戸時代に銅の取引や銅の鋳造を行った場所を言います。
1766年(明和3年)に設置された銅座は、国内で産出した銅の精錬・売買を独占、
日本国内諸々の場所で産出した銅を、銅吹仲間に精練させて、
そのあと海路で長崎へ回送し輸出されました。
(そんなわけで、長崎には今でも銅座町という地名があります。)

(銅座の跡の石碑)

(銅座の跡・石碑アップで)












































こちらの背後の建物ですが、何というか、門構えだけ見ると武家屋敷のような佇まいですね。
そして、「銅座の跡」の石碑もあるので、往時を偲ばせる建物と思いきや、
こちらは何と現役の幼稚園園舎!かなりのサプライズですね。

こちらは「大阪市立愛珠幼稚園」です。こちらの建物(私の訪問時は修繕工事中でしたが)は、
1901年(明治34年)の建築
何でも日本最古の木造園舎とのことで、国(文化庁)より
重要文化財建造物の指定を受けております。

(大阪市立愛珠幼稚園)

(重要文化財指定書)






































さて、銅座を後にして、次は200mほど離れた「オペラ・ドメーヌ 高麗橋」へと向かいます。
こちらは、1912年(明治45年)に『大阪教育生命保険ビル』として誕生した古いビルです。
今では結婚式場として利用しているそうです。
設計は辰野金吾氏が手掛けております。
先般ご紹介した、日本銀行大阪支店も辰野氏の設計です。

一部は改装されているとはいえ、これだけ古い建物が、
現役で活躍しているのは嬉しいところですね。

(オペラ・ドメーヌ 高麗橋)




















続いては、お隣の建物 「浪花教会」へ。
浪花教会の建物は、1930年にアメリカ人建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ
(1880年 – 1964年: 建築家にして、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の
創立者の一人としてメンソレータムを広く日本に普及させた実業家、
そしてプロテスタントの信徒伝道者)が指導し、
竹中工務店が設計・施工したものとのことです。

内部もきれいだそうですが、今回は外観のみで我慢です。

(浪花教会・外観)

(エントランス付近)






































最後は本町方面へと向かい「綿業会館」 へと歩みを進めます。
こちらの建物もほぼ同年代の1931年12月に、
日本綿業倶楽部の施設として建設されました。

毎月第4土曜に見学できるそうですが、こちらも外観だけで我慢です。

(綿業会館)

(日本綿業倶楽部の看板と
重要文化財を示すプレート)












































今回は、非常に駆け足での散策でしたが、大阪はじっくり見てみたいですね、
いつも出張のついでばかりではちと残念。
そんなことを思いました。


0 件のコメント:

コメントを投稿