今度は、大阪を代表するビジネス街である、中之島近辺を歩いてみます。
ビジネス街なので、ビジネスっぽい史跡からスタート。
それが、ANAクラウンプラザホテル大阪 からほど近い場所にある、
こちらの「堂島米市場跡」です。
(堂島米市場跡) |
(稲穂を手にした子どもたち) |
(堂島米市場の説明版) |
こちらは先物市場発祥の地と言ってもいい場所です。
日本だけでなく「世界最初」ですよ!すごいですね。
こちらの堂島米市場の説明については、上記石碑に分かり易い説明がありますので、
以下転記致します。
「享保十五年(1730年) 幕府は 堂島米市場に米の先物取引 である帳合米取引を公認した
その取引の手法は現在の 大阪証券取引所を始めとする
世界各地における 組織化された 商品・証券・金融先物取引の
先駆をなるものであり 先物取引発祥の地 とされている
背後の像は昭和二十八年 彫刻家横江嘉純氏により製作され
昭和三十年堂島米市場跡建碑会 により 寄贈されたものである」
背後の像は、“稲穂を手にした子どもたち”の像で横江嘉純(1887年 - 1962年)の作品です。
愛らしい像ですね。
歴史上重要な記念碑ではありますが、付近は大阪きってのビジネス街だけあり、
人通りは多いですが、足を止めて見る人はほとんどいません。
続いて、中之島ガーデンブリッジを渡り、日本銀行大阪支店へと歩を進めます。
ここらへんの河岸はがっちりとコンクリートで固められていて、
本当にビジネス街という雰囲気が漂います。
(中之島ガーデンブリッジ) |
(中之島ガーデンブリッジから堂島川を眺める) |
(歩行者専用の中之島通) |
続いて目指すのは、「駅逓司大阪郵便役所跡」です。
駅逓司(えきていし)とは、1868年6月11日に設置された交通通信担当官司のことです。そして、1871年3月に駅逓司の前島密・杉浦譲らによって郵便制度が開始されました。まず大阪-京都・東京間の開設があって、この地にその郵便役所がおかれたのです。ちなみに、こちらは元島原藩蔵屋敷だった場所です。まあ、中央郵便局のようなものと言った方がわかりやすいかと思います。
この碑の近くに、ちょっとグレードの高そうなポストが置いてあるのも、奮起を盛り上げている感じですね。
(日本銀行大阪支店) |
(高級感のあるポスト) |
(駅逓司大阪郵便役所跡) |
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