2017年1月2日月曜日

早稲田・神社仏閣巡り ② 観音寺から甘泉園・早稲田水稲荷神社へ

 早稲田南門通りを早稲田大学方面へ進んでいきます。
都電荒川線の早稲田駅方面へと向かう途中にあるのがこちらの「観音寺」です。

1673年(寛文13年)に賢栄和尚により開基された伝統のある寺院です。
と聞くと、ちょっと古めかしいイメージを持たれるかもしれませんが、
こちらの寺院の外観は非常に先進的・宇宙的な雰囲気で他と一線を画します。

それもそのはずで、こちらのデザインは、早稲田大学理工学部名誉教授にして、
日本建築学会賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、吉田五十八賞
といった栄誉ある数々の賞を受賞されている石山修武氏によるものです。
こちらのデザインは1996年、石山先生が52歳の時の作品だそうです。

(真言宗 観音寺)

(観音寺案内)

(近未来的な外観の観音寺)
























































こちらから、早稲田駅を経て「甘泉園」へと向かいます。
甘泉園の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたからその名がついたそうです。
元々は、江戸時代宝永年間(1704-1711年)には尾張徳川家の拝領地だったそうで、
その後に1774年(安永3年)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていたところです。
この日はあまり天気が良くなかったのですが、優雅な雰囲気は十分伝わるという感じです。
それよりも入口の注意書き

 「へびを見つけても刺激しないでください。
どくはありませんがかまれることがあります。新宿区」

が気になりました。
刺激する気はないけど、ヘビがいたらびっくりするだろうな、
と少々注意しながらの散策でした。

(都電荒川線・始発の早稲田駅)

(甘泉園裏門 - 注意書きが気になります)

(見事な庭園ですね)
























































この甘泉園のすぐ隣りあるのが、「早稲田水稲荷神社」です。

歴史は941年(天慶4年)まで遡り、
藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請し
「冨塚稲荷」と命名したことから歴史が始まります。

水稲荷神社と改名されたのは、神木の大椋の根元より霊水が湧きだし、
眼病に利くとして江戸市中で大評判となり、火難退散のご神託が下ったことによります。

早稲田エリアでもこの付近はちょっと静かなエリアですが、
境内は昔からあまり変わってないな、という雰囲気で趣がある感じです。

(水稲荷神社入口)

(水稲荷神社鳥居)

(水稲荷神社社殿)

(朱色が見事です)

(大国社 - 身体健全、金銀融通の神様)







































































































こちらも早稲田大学に御縁があることから
(1963年(昭和38年)に早稲田大学と土地交換を行ったこちらに遷座しました)
合格祈願の参拝者も多く、その参拝者に向けては、以下のような看板があります。

「早稲田大学をはじめ早稲田大学系学校への合格祈願の皆様は
本殿の参拝をすませましたら
案内図に従いまして高木神社 北野天神社へご参拝下さい。
両社共に創立者大隈重信候が毎日拝礼されました
早稲田大学に御縁の深い神社でございます。」

高木神社は元々早稲田大学構内にあったものがこちらへ移ってきたものです。

北野神社は菅原道真公をお祀りしており、牛込天神町からご遷座されたものとのことです。

(合格祈願参拝者へ向けたボード)




















早稲田大学系学校も数多くなってきましたが、
早稲田に行かれたい方は、町の雰囲気を知る意味でも付近の散策ともども、
お参りに行かれてみてはいかがでしょうか?



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