2017年2月26日日曜日

九段下駅周辺観光スポット ① 滝沢馬琴の硯の井戸跡 & 大隈重信候 雉橋邸跡

 今回は九段下駅周辺にスポットを当てます。
東京メトロ東西線&半蔵門線に加え、都営新宿線も交差する交通の要所である
九段下駅周辺には靖国神社や日本武道館などありますが、
今回は、九段下駅出口から徒歩3分以内のスポットをご紹介します。
今回は仕事途中のサラリーマンの為のガイド的要素満載!
これなら仕事の途中にも寄れますね!
ということで、まずはのご紹介は九段下駅5番出口より徒歩すぐの場所にある
「滝沢馬琴の硯の井戸跡」(東京都の旧跡)です。

滝沢馬琴は1793年(寛政5年)27才の時から、
1824年(文政7年)に58才になるまでの31年間この地に住んでいたとの事です。
こちらですが、本当にマンションの一角にあります。
注意して見ないと通り過ぎてしまうかもしれません。
当時の風情を残すものはありませんが、
こういった石碑を見ながら往時に思いをはせるのも悪くありませんね。

(目白通り沿いに建つ 史跡を示す案内板)

(本当にマンションの一角にあるのです)

(滝沢馬琴の硯の井戸跡)

続いて千代田区役所へと向かいます。
こちらは大隈重信候が住んでいた邸宅跡地で、
そのことを示す石碑が建っています。

(千代田区役所)

(大隈重信候 雉橋邸跡 碑)

(石碑のある一角)

(江戸幕府蔵屋敷の礎石)

(江戸幕府蔵屋敷の礎石 & 大隈重信邸跡 の説明)






































千代田区役自体が2007年2月に竣工した、
割と新しい建物であることより、
こちらの石碑もかなり新しいものとなっております。
こちらは大隈重信が住んでいた邸宅の跡地です。
こちらも、石碑に解説がありますので引用致します。

大隈重信候 雉橋邸跡

 早稲田大学創立者大隈重信(一八三八~一九二二年)は、
明治新政府に出任し、大蔵卿等を歴任し、
日本国の「円」の創設に尽力しました。
また内閣総理大臣を二度にわたり務め、
近代国家の基礎作りに貢献しました。
 大隈重信は、一八七六(明治元年)年十月から
一八八四(明治十七年)年三月まで、
この雉子橋邸宅(当時の麹町区飯田町一丁目一番地)に住み、
一八八二(明治十五)年十月創立の早稲田大学の前身、
東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。
    創立一二五周年を記念して

        二00七(平成十九)年十月  早稲田大学・千代田稲門会

またこちらには、江戸幕府蔵屋敷の礎石もあります。
ちょうど、日本庭園風になっているので、ちょっとわかりにくいですが、
こちらも説明プレートが丁寧に設置されています。

江戸幕府蔵屋敷の礎石

 江戸城清水門前のこの場所は、将軍直属家臣の居住地や
蔵・馬場、厩といった江戸城附属の施設が置かれました。 
 平成16年の遺跡発掘調査では、近世初頭に水田地帯を
埋め立てて屋敷を築いたことがわかりました。
ここに設置した石は、敷地南半に広がる米蔵の礎石の一部で、
配置は出土状態を再現しています。
礎石の配列から、二棟の東西に長い建物で、明暦の大火(1657年)
で焼失したと考えられます。
礎石のうち、大きな石材は柱や壁を支え、
小さな石材は床を支える基礎と考えられます。

  大隈重信邸跡

 近代なるとこの地は、明治政府の厩が置かれましたが、
明治9年には二度の総理に就任し、
早稲田大学を創設するなど多方面に活躍した大隈重信が邸宅を構えます。
 その後、フランス公使館、憲兵練習場、国営竹平住宅を経て現代を迎えます。

                 監修:千代田区教育委員会




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