2019年8月29日木曜日

タイ & 台湾旅行 53 台中公園で台中神社の遺構を辿る

孔子廟に続いて台中公園へと向かいます。

台中公園は日本統治時代の1903年に整備された公園で、
総面積は86千㎡もある広い公園です。

(台中公園入口)


















園内には、現地を訪れた閑院宮載仁親王のための休憩所と建てられた
”湖心亭”なども見所もありますが、
基本的には台中市民の憩いの場という雰囲気になっています。

(湖心亭)


















今回私がこの台中公園を訪れた一番の理由は台中神社の遺構巡りです。
台中神社は1911年2月に当地に創建された神社です。
1942年に北東に1Kmほど離れた場所に遷座し国幣小社に昇格しました。
この場所が先ほど訪れました孔子廟です。
1945年の敗戦後に廃座されて今に至ります。

台中孔子廟には台中神社の面影は全く残っていませんが、
こちらの初代台中神社にはいくつか遺構が残っています。

まずはこちらの鳥居が目に入ってきます。
鳥居は残念ながら寝かされた状態です。
復元する計画もあるという噂がありますが今後どうなるか?

(台中神社 - 鳥居)


















近くに行きますと往時に刻まれた文字がまだ残っていますね。

(大正十年十月再建)

(臺中神社舊御本殿之址)

































このように鳥居はくぐることができませんが、
参道方面へと歩いていきます。

(台中神社 - 参道)


















旧参道には石碑が残っています。
「帝国製糖株式會社」「有限責任台中信用組合」と言った文字も見られます。

(参道跡には石碑が並びます)


















帝國製糖株式會社は1910年 〜 1941年に存在した製糖会社で、
後に日糖興業に吸収されたようです (https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/003)

(帝國製糖株式會社)


















有限責任台中信用組合は三信商業銀行の前身となる金融機関です。

(有限責任台中信用組合)

















参道は往時の風情が残っていますね。

(橋の先に社殿跡があります)

















さて、参道を歩いていくと、社殿のあった場所にでます。
当時の基礎部分は未だに残っており、狛犬も痛んではいるものの健在です。




















旧社殿部分には孔子像があります。



















台中公園内の台中神社の遺構は以上ですが、
この地にかつて神社があったことは間違いないことがわかります。

日本統治時代を物語る遺構ですので、
今後も大事にして頂きたいと思いますね。


0 件のコメント:

コメントを投稿