2017年10月9日月曜日

御徒町から浅草橋へ ② ~ 竹町公園へ ~

御徒町公園から「竹町公園」へと向かいます。
この付近は、江戸というよりは昭和と言った雰囲気の町並が続きます。

(竹町公園付近の町並)

(昔懐かしの森永販売店)

(マミーの看板 - Mamie ってスペルなんですね)






















































この辺りは元々、竹町と呼ばれていたエリアになります。
その竹町の由来については、御徒町と同様に
竹町公園内にあります「下町まちしるべ」に解説頂きます。

 明治五年(一八七二)秋田の久保田藩主佐竹邸、伊勢の津藩主藤堂邸、
伊予の大洲藩主加藤邸、秋田の矢島藩主生駒邸と周辺の屋敷が合併して竹町はできた。
町名の由来は、この地に最も広大な敷地を有した佐竹邸の西門扉に
竹を用いていたことにちなむという。
 この地は、竹町と命名されてから、めざましい発展を遂げた。
さて蹴邸の跡地には講談寄席や料理店がならび大変にぎわった。
その後、大正十二年(一九二三)の関東大震災で一面焼失したが、
商人や職人の町としてよみがえった。そして、第二次世界大戦で
二度にわたる空襲を受けたにもかかわらず、
他にさきがけて復興し現在の姿になった。


(竹町公園)

(竹町公園内は大木が印象的ですね)

(懐かしのポンプ - 現役でしょうか?)

(下町まちしるべ - 旧竹町)








































































竹町公園自体はやや殺風景な感じのする公園ではありますが、
大木の迫力に歴史を感じますね。

竹町公園を後にして向かうのは、「竹町金刀比羅神社」です。
小さな公園と一体化したような構造ですので、
ちょっと見落としてしまう可能性もあります。

(竹町金刀比羅神社)

(竹町金刀比羅神社 - 鳥居)

(社殿)

(竹南橋)

(金の文字が印象的です)

(水はありませんが庭園のようになっています)










































































































御由緒は境内に掲示がありますが、讃岐守生駒一正 (1555年 (弘治元年)
~ 1610年 (慶長15年) の自邸内に建営されたのが初めとのことです。
現社殿は戦災で焼失の後、1963年 (昭和38年) に再建されたものです。

こじんまりとした神社ではありますが、
落ち着いた良い雰囲気があります。

続いては、蔵前橋通り沿いにある「桜稲荷神社」へと向かいます。
こちらは、先に名前の出た藤堂家邸内に鎮座していた神社です。
現在の形になったのは、1952年 (昭和27年)に、
京都の伏見稲荷神社より分霊を勧請してからとなります。

こちらの神社ですが、ビルとビルの間の狭い参道を通って行くことになります。
この狭い参道を歩くのが何とも不思議な気持ちです。
この一瞬だけは東京都内にいるということを忘れる感じですね。
(10秒くらいですが。。。)

(桜稲荷神社 - 参道)

(桜稲荷神社 - 鳥居)

(櫻稲荷神社 - 社殿)






















































神社がとてもきれいに維持されているのを見ても、
地元の方に愛されている神社であることがわかる気が致しますね。

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