ちなみに、東京メトロ東西線日本橋駅と茅場町駅の間は0.5Kmしか離れていません。
階段を降りて電車を待って階段を登ると考えると、歩いた方が早い距離ですね。
ちなみに、日本橋から三越前までは0.6Km (銀座線)、人形町までは0.8Km(浅草線)と
この辺りは地下鉄密集地帯と言えます。
「郵便発祥の地」に続いては「銀行発祥の地」へ向かうのですが、
その手前にある「海運橋親柱」も東京を語る上で貴重は遺跡です。
こちらの説明を引用致します。
(海運橋親柱) |
海運橋親柱
所在地 中央区日本橋一-二〇先
日本橋兜町三先
海運橋は、楓(もみじ)川が日本橋川に合流する入り口に架けてあった橋です。
江戸時代初期には高橋と呼ばれ、橋の東詰に御船手頭向井将監(しょうげん)
忠勝の屋敷が置かれていたので、将監橋とか海賊衆と呼ばれていました。
御船手頭は幕府の海軍で、海賊衆ともいっていたためです。
橋は、明治維新になり、海運橋と改称され、同八年に、長さ八間(約十五メートル)、
幅六間(約十一メートル)のアーチ型の石橋に架け替えられました。
文明開化期の海運橋周辺は、東京の金融の中心として繁栄し、
橋詰にあった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所となりました。
石橋は、関東大震災で破損し、昭和二年鉄橋に架け替えられました。
このとき、二基の石橋の親柱が記念として残されました。
鉄橋は、楓川の埋立てによって、昭和三十七撤去されましたが、
この親柱は、近代橋梁の遺構として、中央区民文化財に登録されています。
平成六年三月
中央区教育委員会
日本橋側にある親柱は、公園のような整備された一角にありますので、
じっくりと見学することがきますが、兜町川の親柱は、
ビルの敷地の植木に埋もれていて、ちょっとかわいそうなことになっていますね。
(兜町サイドの海運橋親柱) |
今では高速道路の敷地となった楓川を越えた場所にあるのが、
「銀行発祥の地」のプレートです。
(銀行発祥の地) |
プレートには、
銀行発祥の地
この地は明治6年6月11日(1879年)
わが国最初の銀行である第一国立銀行が 創立されたところであります
昭和38年6月建立
と記載があります。
こちらは、今現在は「みずほ銀行兜町支店」として普通に営業しています。
みずほ銀行は、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の合併で誕生した銀行ですが、
そもそも第一勧業銀行自体が、1971年に第一銀行と日本勧業銀行が
合併して誕生した銀行ですので、金融機関の合併というのは昔からあったのだな、
ということを思い起こさせますね。
(みずほ銀行兜町支店 - 右下が銀行発祥の地のプレート) |
こちらのビルですが、今では普通のオフィスビルですが、
昔はなかなか味のある建物だったのがわかります。
同じビルの側面には「兜町歴史地図」とともに、
初代から三代目までの建物のパネルが展示されています。
(兜町歴史地図) |
(建物の変遷がわかります) |
(付近にはレトロなビルもあります) |
この通りを真直ぐ歩くと「兜神社」がありますので参拝していきます。
途中、2016年11月30日で50有余年の歴史に幕を下ろした
「喫茶メイ」の跡地を通ります。
金融の中心地の兜町にあり、昔からレトロ感を漂わせていたこのお店、
久しぶりに来てみたら閉店というのは残念です。
(喫茶メイ) |
(閉店のお知らせ) |
さて、こちらが兜神社です。
兜神社は、明治11年に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設立される際、
同年5月に取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として造営されたものです。
(兜神社 - 遠景) |
(兜神社 - 鳥居と拝殿) |
(兜神社の由来) |
(神額) |
境内に安置されている「兜岩」は、前九年の役(1051年 ~ 1062年)の時に、
源義家が東征のみぎりこの岩に兜を懸けて戦勝を祈願したとに由来し、
兜町という地名はこの兜岩に因むと言われています。
(兜岩) |
兜神社自体は小さい神社ですが、兜町で信仰を集める神社だけあり、
きれいに整備されていますね。
訪問日は休日ですが、参拝客もちらほらいらっしゃいますね。
元証券マンという感じの方が多いです。
続いては、日枝神社へと向かいます。
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