こちらは、1981年(昭和56年)10月に開園した植物園です。
園内には、約600種の樹木・草花・山野草が植えられています。
散策には中々いい場所ですが、季節柄、お花はそれほど咲いていませんでした。
そんなわけで、こちらはちょっとだけの滞在にして、
次なる目的地である「松月院」へと向かいます。
(板橋区立赤塚植物園) |
(ばら園 - シーズン中に来たかったですね) |
(こちらはぼたんの園) |
松月院は赤塚城主・千葉自胤が、1492年に宝持寺を自身の菩提寺として定め、
寺領を寄進し松月院と名を改めさせたのが始まりと伝えられています。
赤塚歴史散歩には避けて通れない古刹ですね。
(松月院参道) |
(松月院山門) |
(松月院本堂) |
また、日本で初めて洋式砲術調練を公開されたのは1841年のことですが、
これは高島秋帆が徳丸ケ原(現在の高島平で、高島平の名は高島秋帆にちなむ)
にて行ったものです。その際に、本陣が置かれたのがこの松月院です。
このことを顕彰する目的で建てられた「高島秋帆先生紀功碑」が残っています。
(高島秋帆先生紀功碑) |
(近くには豊川托枳尼天もあります) |
境内は静けさが漂い、落ち着ける寺院でした。
また、併設の幼稚園の石像がとても可愛らしいのが印象的でした。
(おててをあわせておがみましょう) |
さて、次の目的地である浅間神社(下赤塚富士)へ向かう途中に見つけたのが
こちらの石碑です。
三遊亭圓朝によって創作された怪談噺である
怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)にでてくる
乳を出す不思議な榎がある場所が松月院なのですね。
(怪談乳房榎記念碑) |
(怪談乳房榎記念碑) |
(こちらは乳房榎由来) |
再び住宅街を歩き、大宮バイパス沿いにぽっかりと空いた
空地のような場所にたどり着きますが、
こちらにあるのが浅間神社(下赤塚富士)です。
浅間神社は諏訪神社管理地となっていますが、
こちらにも富士塚があるのです。
赤塚氷川神社の富士塚・上赤塚富士に対し、こちらは下赤塚富士と、
富士塚が近くに2つもあるのはちょっと珍しいですね。
(浅間神社(下赤塚富士) - 遠景) |
(浅間神社 鳥居) |
(富士塚頂上) |
(祠と石像 - ちょっと傷みが目立ちます) |
そして、今回のショートトリップの最終目的地である「赤塚諏訪神社」へ。
赤塚諏訪神社のお隣には、板橋区立竹の子公園があります。
小さな竹林と竹についての説明があります。
何となく寛げる公園ですね。
(板橋区立 竹の子公園) |
(竹林が清涼感を与えます) |
(竹について勉強できます) |
さて、こちらが赤塚諏訪神社です。
赤塚諏訪神社は、詳細な創建年代は不明ですが、
長禄年間(1457年-60年)に赤塚城主千葉自胤が、
信濃国の諏訪大社の分霊を勧請してここに祀り、
赤塚城の鬼門除けにしたという言い伝えがあります。
また、板橋区立郷土資料館でも見ました田遊び。
国の重要無形民俗文化財、並びに、板橋十景に指定されている板橋の田遊びは、
こちらと徳丸北野神社の田遊びです。
(諏訪神社 田遊び の石碑) |
(随神門) |
(手水舎) |
(赤塚諏訪神社拝殿) |
(境内社 - 秋葉神社) |
(境内社) |
これにて、短い板橋区観光は終了です。
短いながらも非常に見どころが多かったですね。
時間があれば、成増方面へと行きたかったのですが、それは次回ということで。
帰りは都営三田線の新高島平駅から帰ることに致します。
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