汐留駅や築地市場駅が近いので、一般にイメージする銀座とは
ちょっと違う場所にあるという感じです。
(日本郵便銀座郵便局) |
そんな銀座郵便局の前にポツンと佇むのが「検査業務開始の地」の石碑です。
碑文を引用致します。
検査業務開始の地
明治9年6月17日、この地に工部省電信寮の碍子試験所が発足して
電信用碍子の電気試験が行われた。
これが我が国における近代的物品購入検査の始まりである。
検査100年を記念して
昭和51年6月
郵政省
日本電信電話公社
(「検査業務開始の地」石碑) |
なるほど、1876年(明治9年)という100年以上も前に、
碍子(がいし)をここでチェックしたのが検査業務の開始なのですね。
碍子は電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具で、
あの有名企業「日本ガイシ株式会社」の碍子です。
付近の歴史を語る上でもう一つ忘れてはいけないのが、
「浜離宮前踏切跡」ですね。
都心の道路に踏切がポツンとあるのはなかなか面白い光景です。
こちらにも説明のプレートが2つありますので引用致します。
浜離宮前踏切 説明
所在地 東京都中央区銀座八丁目21番1号先
この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、
国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を
貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、
貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。
しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、
保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
(浜離宮前踏切 説明) |
保存理由
元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。
汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、
大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。
大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、
汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、
国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、
東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、
地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
銀座御門通り会
銀座金春通り会
(保存理由) |
こちらは交通量もそこそこ多い通りですが、
ここに古い信号機があることなんて気にもせず
皆さん通り過ぎるんだろうと思います。
自分は仕事を辞めてからこういった景色に結構敏感になりましたね。
東京は無機質な町になりつつあるのは事実でしょうけど、
こういった昔ながらの風景が一部でも残るのも東京ですね。
銀座なんてよく見ると石碑がやたら多いですよ。
そういったものに注意しながら歩くと、
新たな街の魅力にも気が付くのではないかな?
と思います。
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