こちらの坂は「傘谷坂(からかさ坂、もしくはかさざか)」です。
文京区教育委員会の説明版を引用致します。
傘谷をはさんで、向き合う二つの坂をいう。
改撰江戸志という書物によると、傘谷は、金助町(旧町名)の北の方にあって、
傘づくりの職人が多く住んでいた窪地である。それで傘谷、傘坂の名がついた。
金助町に生まれた歌人・岡麓(おかふもと)は、
大正12年の大震災で家が焼け、その焼け跡で、
"あさはかに 家居(いえい)移しし 悔心(くいごころ)
このやけあとに 立ちて嘆(なげ)かゆ。"とよんだ。
こちらも江戸当時の面影はあまりありませんが、地味に古い建物が目立ちます。
通りの入口に立つ建物もその一つですね。
(傘谷坂) |
(蔵前通りに出ます) |
ここから蔵前通りを左折してむかうは「おりがみ会館」。
入館無料で見学できて、ビルの1階と中2階はギャラリーとなっています。
実際の作品は繊細でお見事です。
中2階は展示会をやっていたようで、ご婦人方が多く、
男性一人では入りにくい雰囲気ではありましたが、一通り見学させて頂きました。
外国人にも人気のあるスポットというのは納得で、
日本文化の繊細さ・奥深さを知る意味では面白いスポットだと思います。
(おりがみ会館) |
(1859年設立の文字が) |
(1階のギャラリー) |
(繊細な作品ですね) |
続いては、清水坂を登ってすぐのところを右折したところにある、
妻恋神社へと向かいます。
(清水坂 - 石碑だけは昔のままです) |
正面にはAPAホテル御茶ノ水駅北がほぼ完成間近という感じです。
が、周りにはラブホテル風の建物がちらほら。何とも不思議が空間です。
(妻恋神社外観 - アパホテルから臨む) |
こちらの妻恋神社のご由緒は以下の通りです。
その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の際、
三浦半島から房総への途中で大暴風雨にあい、
同行の妃・弟橘媛命(おとたちばなひめ)が海に身を投じ、
海神の怒りを鎮め、一行を救いました。
途中湯島の地に滞在したので、郷民が尊の姫を慕う心をくんで、
行宮(野営陣地)の跡地に尊と姫を祀ったのがはじまりと伝えられています。
江戸時代には「妻恋稲荷」と呼ばれ、関東惣社と名乗り
王子稲荷神社と並んで参詣人が多かったらしいです。
通常社務所は無人とのことで、訪問時も人影はありませんでした。
(妻恋神社) |
(境内社の妻恋稲荷) |
(妻恋神社の説明) |
ここから神田明神へと向かいます。
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