ビルの脇の細い参道を歩き横濱厳島神社へと向かうわけですが、
境内は比較的広々とした感じです。
(「横浜辨天」の扁額がかかる厳島神社) |
厳島神社が当地へ移転したのは1869年(明治2年)のことです。
先にご紹介した伊勢山皇大神宮が遷座したのが1870年ですので、
この時期に横浜という地が激変したことが伺えますね。
横濱厳島神社は元々は洲干弁天社と称し、創建は治承年間(1177年 ~ 1181年)、
源頼朝が伊豆国土肥から勧進したと伝えられる歴史ある神社です。
当地移転前は1万2千坪という広大な土地を有していたとのこと。
(横浜厳島神社の社殿を臨む) |
(手水舎) |
(神楽殿) |
今では横浜屈指の繁華街&歓楽街の近くでひっそりと佇むという感じで、
往時の面影を想像するのは難しいですね。
元は境内には瓢箪池があり、清水が湧き出たこともあり「清水弁天」
もしくは「洲干弁天」「横浜弁天」とも呼ばれたそうですが、
現在でも銭洗辨天社が境内にございます。
そんなことから金運スポットとしても有名らしいですね。
(銭洗辨天社 - 鳥居) |
(銭洗辨天社) |
境内社の豊受稲荷大明神 |
場所柄か境内は駐車場のような感じになっており、
かつての横浜村の鎮守から想像するに寂しい雰囲気がありますが、
繁華街の中にあって落ち着ける雰囲気は貴重ですね。
これにて横浜探索は終了、帰りには京急黄金町駅から帰ることに致します。
(京急黄金町駅) |
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