途中、向阳街沿いに、ホテルと工場の廃墟を発見しました。
ホテル廃墟は「云里游大酒店」という文字が見えます。 ゲートからホテルまでが結構な距離があることから、かなりのホテルだったことが伺えます。しかしながら、その間は、コンクリートの舗装もボロボロになっており、かなり昔に廃業したようですね。
工場の方は何の工場かわかりませんが、こちらも手入れがされてないですね。
(云里游大酒店遠景、ボロボロですがゲートは閉まっています) |
(云里游大酒店・望遠で撮影) |
(云里游大酒店・サイドから) |
(云里游大酒店近くの廃工場) |
(屋根が朽ちてますね) |
と廃墟見物を少々楽しみつつ、旅順日露監獄跡地博物館(旅顺日俄监狱旧址博物馆)
へ到着です。ちなみに、ロシアは日本語漢字では、露西亜ですが、
中国語表記ですと「俄罗斯」となります。
したがって、「俄」はロシアを意味します。
大連・旅順観光ではこの漢字が一つのキーワードとなります。(このような建物が多く並びます)
(旅順刑務所入口) |
(旅順刑務所) |
さて、こちらの刑務所の歴史は、1902年にロシアが建設、1907年に大日本帝国が拡張しました。1945年ソ連軍が旅順に入った後解体されるも、1971年7月に再建、
「旅順日露監獄旧址(旅顺日俄监狱旧址)」として博物館として再生しました。
今回の旅行で一番見応えがあると感じたのがこの刑務所です。
当時の監獄が当時のまま残されており、苛酷な刑務所生活であったことが想起されます。
ちなみに、グレーの建物はロシア時代、煉瓦作りの建物は日本統治時代のものとのこと。
雰囲気的にはロシア時代の監獄がより苛酷に見えるのは気のせいでしょうか?
(このような建物が多く並びます) |
(検身室) |
(刑務所の廊下) |
(牢獄の扉) |
(刑務所の部屋の中) |
1909年日本の初代内閣総理大臣にして初代韓国統監である伊藤博文を暗殺した
安重根が収監されていた部屋も残っています。
韓国同様、こちらでも安重根は「愛国志士」という記載がされています。
他の展示は、中国語・韓国語・英語の表示が多いのですが、
ここは何故か日本語の説明があります。
(安重根の拘置された部屋) |
(安重根は愛国志士 / Patriotと記載されています) |
このエリアを通過しても、更に、刑務所順路は続きます。
監督室や歴史的な説明もあり、相当の規模の刑務所であったことがわかります。
(拷問部屋?でしょうか) |
(普通病棟) |
かなりショッキングなのは、「絞刑場 - Hanging Ground」でしょう。
実際の絞首刑の様子がわかり、ぞっとする場所です。(ロープと木桶)
(絞刑場の建物) |
(ロープと木桶) |
(ロープと木桶) |
(ロープ) |
内部は相当広いので、十分な時間をとって見学することをお勧めいたします。
こちらも入場料が無料というのがいいですね。
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