2020年12月2日水曜日

公津の杜駅から成田駅へ ⑥ 公津原39号墳 - 伝初代印波国造伊都許利命墳墓 (伊都許利神社)

伝初代印波国造伊都許利命墳墓


麻賀多神社・奥宮には公津原39号墳が隣接しています。
参道脇からもその姿を眺めることができます。






公津原古墳群は千葉県成田市に点在する古墳ですが、
ほとんどの古墳は成田ニュータウン内に存在するので、
こちらの古墳はそれとはちょっと離れた場所にあります。

こちらの墳墓への入口は下記写真のように、
扉が固く閉ざされていますが、
脇からは簡単に登れるようになっています。





ただ、そんなことをしなくても、
奥に位置する金刀比羅神社からのアプローチが可能です。






登頂部には石碑と説明版がありますが、
ここに立つと古墳であることを強く感じますね。






伊都許利命の御由緒については掲示板より一部抜粋致します。

" 伊都許利命由緒
伊都許利命は 神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で
応神天皇の命を受けて 印旛國造としてこの地方を平定され 
産業の指導などに多くのご功績を残されています

  その昔 日本武尊 ご東征の折 大木の虚に鏡をかけ 
根本に七つの玉を埋めて 伊勢神宮に祈願されました 
命は「この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く」との教をきヽ 
その鏡をご神体として この地に稚日霊命を(手里神社)祀りその後 
ご霊示によって 七つの玉を掘り出して稚産靈命(台方神社)を祀り 
共に麻賀多眞大神として 里人の崇敬を指導されてから       益々豊年と楽土が続きました"

考古学的には墳墓の築造年代は7世紀なので、
応神天皇の時代からはかなり後に築造されたものとのことです。

その辺の史実はさておき、
太古の昔からこういった墳墓が残るのはまさに歴史のロマンを感じますね。

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