今更ですが、舎人は「とねり」と読みます。
私は子供の頃、付近をよく通っていましたが(親戚の家に行く途中に通るのです)、
ずっと「しゃじん」だと思っていました。。。
舎人という地名の由来には諸説あるようですが、
相当古くからこの地はとねりと呼ばれていたようですね。
日暮里・舎人ライナーの開通によるものか、
中層のマンションも目立ってきましたが、
まだまだ長閑な郊外という雰囲気を醸し出しており、
農地もまだまだ健在といったエリアです。
見沼代親水公園は公園というより遊歩道といった趣があります。
遊歩道は散策に適しており、この日も見事な紫陽花が咲いていました。
なかなかいい雰囲気ですね。
(見沼代親水公園) |
(整備された遊歩道) |
(紫陽花) |
さて、こんな見沼代親水公園駅近辺ですが、私が注目したのは2つの氷川神社です。
東京・埼玉には氷川神社が数多く存在しますが、
こちらには、舎人氷川神社と入谷氷川神社の2つがあります。
まずは駅から近い「舎人氷川神社」へと向かいます。
舎人氷川神社の御由緒については、東京都足立区教育委員会のパネルによりますと、
1200年(正治二年)、鎌倉時代初期に大宮の氷川神社を勧請祭祀したとのことです。
現在の社殿も古く、1836年(天保七年)の建築、総欅造りとのこと。
随所に見事な彫刻が残りますので、こちらも見どころの一つです。
(本殿の彫刻が非常に見事なのですが、金網に囲まれてよく見えないのが残念!)
(舎人氷川神社鳥居) |
(弁天池) |
(舎人氷川神社弁財天社) |
(手水舎) |
(拝殿) |
(彫刻は必見) |
(残念ながらよく見えない本殿) |
裏は公園になっていて、近所の子供たちの声が聞こえてきます。
このような地域と一体化した神社というのはほっとしますね。
さて、続いては入谷氷川神社へと向かいます。
入谷と言えば、東京メトロ日比谷線の駅名にもなっている
台東区の入谷がメジャーですが、こちらは足立区の入谷です。
入谷氷川神社の創建年代の詳細は不明とのことですが、
こちらは史跡としても極めて重要な位置づけを持ちます。
こちらについては、入口付近に足立区教育委員会のパネルがありますので、
少々長いですが、全文引用致します。
「史跡 入谷古墳跡(入谷氷川神社)
入谷古墳については、文政五年(一八二二)徳川幕府が各地の村などを
調査して作成した「新編武蔵風土記」入谷村の記録に
「八幡社 塚上ニアリ。土人白幡八幡ト称ス。
古岩槻攻ノ時、当初ニ幡ヲ立シヨリ、カク称セリト云」とある。
この地域は東京東部低地(足立区・葛飾区・江戸川区・帰宅・荒川区・墨田区)
の北辺にあたり、足立区内でも最も早い時代(四世紀頃)に
古代の人々の集団生活がはじまった場所の一つである。
毛長川沿岸には舎人遺跡・伊興遺跡・花畑遺跡などの
多くの古墳時代の遺跡が確認されており、これらの遺跡とともに
多数の古墳が過去に存在したことが知られている。
昭和四十九年、当地の区画整理事業に当り、
予定ではこの塚の半分以上が削られるところであったが、
地元住民の熱意によりこの塚が保存されることになった。
入谷氷川神社氏子総代が中心となり、計画を変更し保存に協力したのである。
現在、区内に残されている古墳は東伊興の白幡塚古墳一基のみとなってしまっている。古墳の可能性の高いこの塚が保存されることは、
きわめて有意義なことである。
平成十二年十一月
足立区教育委員会」
確かに、小山の頂上に位置する拝殿は古墳上にあるように見えます。
付近は振興住宅街の趣がありますが、
こちらの境内は木々も茂り、落ち着いた雰囲気です。
(入谷氷川神社参道) |
(入谷氷川神社鳥居) |
(庚申塔) |
(拝殿) |
(こちらの彫刻もお見事) |
再び日暮里・舎人ライナーに乗るべく、
舎人駅を目指しますが、もう一つ「舎人天神社」へと向かいます。
こちらは小さいながらも、18世紀には創建されていた古い神社です。
お隣の墓地は、明治初期に廃寺となった西光寺の墓地とのことです。
また、境内には足立区の保存樹である見事な黒松があります。
(舎人天神舎) |
(鳥居) |
(神額) |
(見事な黒松) |
さて、再び日暮里・舎人ライナーへと乗り込みます。
(日暮里・舎人ライナーの舎人駅) |
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