今回の旅の一番の目的は「日暮里・舎人ライナー」に乗車することです。
2008年3月30日に開業したこちらの路線、基本的には地元の方の足という路線ですので、
地元以外の人はあまり乗る機会がないのではないかと思います。
私も乗ろう乗ろうと思って、今日まで機会のないまま過ぎてしまいました。
日暮里・舎人ライナーの料金はちょっと高めですね。
初乗り運賃が170円で、日暮里駅から見沼代親水公園駅まで乗車すると
330円かかります。従って、単純往復で660円かかることになりますね。
日暮里駅まで都バスでアクセスすると最低でも210円かかりますので、
都営丸ごときっぷ(700円)はなかなか威力を発揮致します。
まずは、地元の亀戸駅から都電荒川線の始発駅である三ノ輪橋停留場に近い、
大関横丁まで都営バスで向かいます。
大関横丁と言っても、そういった通りが現存しているわけではなく、
元々は黒羽藩(大関氏が統治した)下屋敷へ通じる道の俗称とのことで、
今ではこちらの交差点に名を残すのみです。
ここから三ノ輪橋停留場へ行くには、明治通りを渡り、
常磐線の高架をくぐっていくことになります。
(都営バス・大関横丁バス停) |
(常磐線高架下) |
こちらの高架をくぐると「ザ・下町」というような風景が広がります。
ちょっと面白いものを見ていきましょう。
まずは「宗屋敷跡」です。
今現在は社会福祉法人 荒川区社会福祉協議会の建物になっていて、
当時の面影は全くありませんが、当時を示す荒川区教育委員会のプレートがあります。
そこより、引用致します。
「対馬藩主の宗対馬守下屋敷は、寛文元年(一六六一)に幕府から拝領した。
面積八千百坪(約二万六千七百平方メートル)。
都電荒川線を北限とし、南は明治通り、東は日光街道より一本西側の道、
西は南千住一丁目九番あたりが屋敷の範囲と推定される。
この屋敷の東南の角に、辻番屋があった。
武家屋敷近辺の取締りのために設けられたものである。」
(宗屋敷跡) |
宗屋敷跡の近くには一見空地に見える土地の奥の昭和を感じさせる建物があります。
それが「極楽旅館」です。一泊1,200円~の簡易旅館のようですね。
敷地内にはお稲荷さんがあり、なかなか風情があるな!と近寄ると
「このお稲荷さんを
こわした者は
目がみえなくなり
口がきけなくなる」
と中々怖い文言が記載されています。
ちょっとしたカオスの世界を感じます。
(三ノ輪にある極楽荘) |
(お稲荷様) |
(ちょっと怖い文言が書かれています) |
こちらから都電荒川線三ノ輪橋停留場はすぐそばですが、
三ノ輪まで来たので、徒歩5分圏内の条件で少々観光致します。
まずは曹洞宗 真正寺です。
当地へ浅草から移転したのは1661年(寛永元年)とのことです。
都心のお寺らしく、きちんと整っていますね。
(真正寺山門) |
(真正寺本堂) |
(真正寺本堂) |
(真正寺書院) |
続いては曹洞宗 円通寺へと向かいます。
こちらのお寺は、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって
開かれたと伝えられる極めて古いお寺となります。
本堂の一部となっている大観音は、付近に高い建物があまりない当地では、
なかなか異彩を放っていますね。
境内には、上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、
亡くなった彰義隊士の墓もあります。
これらは、円通寺の仏磨和尚が官許を得て、彰義隊士の遺骸を火葬し円通寺
に合葬したことに由来するものです。
(円通寺) |
(大観音を下から見上げます) |
(彰義隊士の墓) |
最後に公春院へと向かうことに致します。
こちらは浄土宗のお寺で創建は1670年(寛文10年)です。
こちらも非常に整備されたこじんまりとしたお寺という印象ですね。
(公春院山門) |
(公春院本堂) |
さて、ここらで荒川線へ乗るべく、三ノ輪橋停留場へと向かいます。
三ノ輪橋停留所はちょっと無理やりレトロ感を演出した感はありますが、
付近は十分昭和の趣を残した雰囲気ですね。
時間があればジョイフル三ノ輪も散策してみたいところです。
さて、都電荒川線に乗車して、日暮里・舎人ライナーへの乗り換え駅、
熊野前へと向かいます。
(三ノ輪橋駅) |
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