実際この地は、鎌倉へと至る鎌倉街道のルート上で
経済的にも古くから重要拠点と位置付れられていました。
中世には当地が「本町」と呼ばれており、
この付近には徳川家康の府中御殿があった場所です。
(本町の歴史を記す石碑 - 大國魂神社付近にて) |
と言いながらも、往時の様子は伺うことができませんが、
そんな中、府中本町駅付近には「府中御殿 井戸跡 発見場所」
という地味な史跡があります。
(武蔵野線終点の府中本町駅) |
(府中御殿 井戸跡 発見場所) |
(井戸跡部分) |
駅近くのマンション通り道に突如現れるという史跡で、
これ自体にそれ程面白味はありませんが、
往時は富士山まで見渡せる景勝地であった歴史を想うのは悪くありません。
府中本町駅付近には、この他にも善明寺(正確には悲願山善明寺)があります。
こちらのお寺は天台宗の寺院で、国分寺黒鉄谷戸(くろがねやと)の刀鍛冶、藤原助近作の「大鉄仏阿弥陀如来坐像」及びその胎内仏とされる「小鉄仏阿弥陀如来立像」が寺宝として安置されており、国重要文化財に指定されています。
(天台宗 善明寺) |
(善明寺境内) |
境内はコンパクトにまとまっており、美しく整備されています。
非常に落ち着いた感じのお寺ですね。
善明寺の墓地(お寺の境内ではなく、駅方面から後ろ側の場所にあります)には
神学者・依田伊織や勤王の志士・西園寺実満が眠っています。
(依田伊織と西園寺実満のお墓) |
(依田伊織と西園寺実満についての説明) |
さて、再び大國魂神社を横切り、次なる目的地は「武蔵国府跡」です。
(整備中の武蔵国府跡) |
(国史跡 武蔵国府跡を保存している建物) |
歴史を遡れば、大化の改新によって、
武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)がおかれましたが、
その政治の中心地「国府」は現在の府中市に置かれました。
古代国府の関する文献は少なく、この国府がある場所な長い間謎とされてきましたが、
府中市による昭和50年以来の継続的発掘調査により、
大國魂神社の境内および、その東側一帯に存在していたことが明らかとなりました。
さらには、その中枢施設”国庁”とみられる大型建物跡も発見されました。
こちらでは、現代的な建物の中に、柱跡が展示されており興味深いです。
(柱跡の展示) |
(柱跡のアップ) |
続いて東京競馬場方面へと歩みを進めます。
この付近は「京所」と呼ばれるエリアです。
すっかりと新興住宅街となってしまった雰囲気ですが、
古い町だけあり、要所要所で昔の遺跡が顔を出します。
その一つがこちらの庚申塔です。
庚申塔は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、
中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことで、
府中市内にもいくつか残っています。
(京所道と京所についての説明の石碑) |
(京所の庚申塔) |
さて、日吉神社を越えた場所にあるのが馬霊塔です。
馬霊塔は、競走馬の供養のために建てられたもので、左右に十数基の墓石が並んでいます。
私は競馬にそれ程詳しくありませんが、それでも知っている名馬が多いですね。
ここから東京競馬場はもうすぐです。
(日吉神社) |
(馬霊塔) |
(ガヴァナー、ミスアスター、リードと言った名前が) |
(こちらは、サクラノイチ、タケノクニオーなど) |
せっかくですので、東京競馬場へ入ることにします。
本日はレースがありませんが、他競馬場でのレースの中継を見ることができます。
場内は普通に公園などもあり、近所の子供連れのご家族の方も遊びに来ています。
何より圧倒的な広さですね。
建物の大きさにも圧倒されるものがあります。
以前、水道橋の会社に勤めていたので、
場外馬券売場には馴染みがありますが、あたりまえですが、全く別物ですね。
(東京競馬場 東門) |
(東京競馬場 場内地図) |
(コース) |
(観客席) |
(日吉が丘公園) |
(日吉が丘公園内の海賊船) |
また、場内には無料のJRA競馬博物館もあり競馬の歴史を学ぶこともできます。
場内は基本的には撮影禁止ですが、一部、可能なエリアもあります。
(JRA競馬博物館 - 入場無料) |
(JRA競馬博物館 - 内部) |
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