2017年3月13日月曜日

栄閑院猿寺 ~ 杉田玄白のお墓へ ~

 NHK放送博物館周辺ですが、お寺の多いエリアとしても知られています。
その中でも一番有名なお寺がこちらの浄土宗寺院の「栄閑院」です。
こちらの石碑でお分かりのように、こちらは「杉田玄白の墓」のあるお寺です。
杉田玄白と言えば「解体新書」、日本人で知らない人はいないと言えるほどの有名人。
当ブログでも、以前、明石町散歩の項で「蘭学事始の地」
で取り上げたことがありますね。

明石町散歩 ① ~ 日本近代文化事始の地 ~

さて、こちらの寺院ですが、それほど広くはありませんが、
猿寺としても知られるだけあり、猿がいっぱいです。

(久遠山 栄閑院猿寺)

(猿塚があるのは珍しいですね)






































そして、杉田玄白のお墓ですが、寺院正面を向いて右側にあります。
手書きの案内図がありますので、お墓はすぐにわかります。

(杉田玄白先生之墓 入口)

(こちらがお墓です)

(史跡の石碑がないと通り過ぎそうです)
























































虎ノ門ヒルズという最新スポットの近くに、
こういった寺院が残っているのも虎ノ門・神谷町エリアの魅力と言えます。
まだまだ、散策は続きますが今日はこれまでとします。

ご参考までに、お寺の入口にある「都史跡 杉田玄白墓」
のプレート写真と全文書き起こしを記載します。

都史跡 杉田玄白墓

所在 港区西久保巴町九八 栄閑院内
指定 昭和四十一年三月十七日

杉田玄白(一七三三~一八一七)は江戸中期の蘭方医、蘭学の祖である。
若狭小浜藩の藩医杉田甫仙の子、名は翼、字は古鳳、号は鷧斎、九幸翁など。
江戸に生まれ、西玄哲に外科、西幸作にオランダ外科を学んだ。
前野良沢、桂川甫周らとオランダ語解剖書を翻訳した『解体新書』は
日本医学史上画期的な文献である。
文化十二年(一八一五)に脱稿した『蘭学事始』は
『解体新書』翻訳の苦心談を開創した点で有名である。
このほか「形態夜話」「野叟独語」などの著書がある。

昭和四十三年三月一日 建設
東京都教育委員会



0 件のコメント:

コメントを投稿