2016年2月17日水曜日

両国散歩 ~ 両国から浅草橋へ ~ ② 両国橋へ

 さて、両国橋の手前には、「猪鍋」で有名な「ももんじや」さんがあります。
こちらはイノシシやシカの料理が食べられるお店として有名です。
更に珍しいところでは、クマやタヌキの料理も。
一度、お邪魔したことがありますが、猪鍋や鹿鍋は普通においしかったです。
が、狸汁。こちらは、恐ろしく「獣くさい」味でした。
強烈なインパクトが残っています。

(ももんじや・外観)




















ももんじやさんを後にすると、すぐに両国橋へと到着です。
こちら両国橋の東詰には、「表忠碑」があります。
こちらは大山巌元帥陸軍大将(1842年~1916年)の揮毫によるものです。
古く威厳のある石碑ですが、それもそのはず、日露戦役戦没者慰霊碑として、
明治40年に県立されたものです。
 (表忠碑)

























その手前には、大高源吾「日の恩や」句碑があります。
大高源吾(大高忠雄、源吾は通称 1672年~1703年)は、赤穂浪士四十七士の1人として有名ですが、こちらの句碑には「日乃(の)恩(おん)や たちまち砕(くだ)く 厚氷(あつごおり)」と書かれています。こちらは討ち入り後に実際に詠んだ句とのことです。
(大高源吾「日の恩や」句碑)























(句碑の横には両国橋の謂れが記載された石碑もあります)





















さて、両国橋へと向かいます。
現在の両国橋は1932年に完成したもので、橋長 164.5mの大きな橋です。
橋の歴史は前述の明暦の大火に遡ります。
この大火事によって、橋が無く逃げ場を失った多くの江戸市民が火勢にのまれました。この事態を大変重く見た時の老中・酒井忠勝らの提言により、防火・防災目的のために架橋を決断されました(それまでは、隅田川(当時は大川)には千住大橋しかかかっていなかったとのことです)。ちなみに、「両国橋」という名前は、この地が武蔵国と下総国との国境にあったことに由来致します。

(りょうごくばし)




















 現在の両国橋は国道14号(靖国通り・京葉道路)上にありますので、交通量も多くちょっと慌ただしい感じです。しかしながら、隅田川に目線を落とせば、観光船も頻繁に通り、遊歩道もせいびされているので、こちらはのんびりとした雰囲気ですね。

(両国橋下の隅田川遊歩道)

(両国橋から臨む隅田川)





































 この両国橋を渡り切りますと、中央区東日本橋二丁目となります。
こちらには「旧跡 両国広小路」の碑が見られます。

旧跡 両国広小路の碑




















両国広小路というのは、両国橋が建造されたときに、木製の橋への類焼を防ぐため、火除地として作られた広小路です。
もともと防災の目的で造られた広小路ですが、すぐに本来の目的とは程遠い、仮設の茶屋や見世物小屋などが立ち並んですごいにぎわいだったとのことです。
 今では普通の交通量の多い道路で、往時の面影は見られませんね。


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