セミリタイアブロガー・世界を歩く
2025年9月30日火曜日
羽田エリア神社巡り ⑬ 中村天祖神社
羽田神社の兼務社
羽田神社に続いて、羽田神社の兼務社である中村天祖神社へと向かいます。
距離にして500mくらいです。
中村天祖神社のご由緒等については境内に説明板等はなく、
江戸時代にその存在が文献で確認できる程度で、
詳細は不明のようです。
続いて、境内社の髙山稲荷神社にも参拝させて頂きます。
髙山稲荷神社は羽田七福いなりの一社ですので、
Googleの口コミ数はこちらのが多いですね。
中村天祖神社ですが、
境内にはあまりモノがなく清掃が行き届いているので、
神聖な感じが色濃く漂っている神社という印象でした。
2025年9月29日月曜日
羽田エリア神社巡り ⑫ 羽田神社
羽田総鎮守
松巳稲荷神社に続いて、いよいよ、羽田総鎮守である、
羽田神社へと向かいます。
羽田神社は羽田総鎮守ということで、
特に航空会社からの崇敬の念も篤いことで知られます。
その歴史は古く、約800年前の鎌倉時代に羽田浦の水軍で領主だった
行方与次郎が牛頭天王を祀った事が始まりとのことです。
境内で特筆すべき事ですが、
立派な富士塚があることですね。
これは明治時代に作られたものとのことですが、
一時期は老朽化で立入禁止となるも、
令和2年に修築されて登山も可能となっています。
最後に境内社群にも参拝させて頂きます。
羽田神社はもちろん立派で威厳のある神社ですが、
富士塚が素晴らしかったですね。
立入禁止の富士塚が多い中、
これだけ立派な冨士塚にのぼれるのはありがたい限りです。
2025年9月28日日曜日
羽田エリア神社巡り ⑪ 松巳稲荷神社
令和6年1月に新社殿完成の神社
弥五エ門稲荷神社から羽田神社方面へと向かいますが、
途中、新しく見える神社がありました。
こちらが松巳稲荷神社で、どうやら令和6年1月に、
鳥居・社殿ともリニューアルしたようです。
昔書かれたブログ等を拝見しますと、
鳥居が傾きかけて社殿も風雨にさらされて相当傷んでおりました。
ご由緒等については記載が見当たりませんでしたが、
昔の社殿には説明板があったようです。
それを拝見致しますと、
昔大きな松の大木があって、
こちらには多数の蛇が住んでおり、
この松の枝が焼けて幹だけになった時、
大量の蛇が出てきて困ったので、
こちらで蛇を祀る社を立てた結果、
蛇はでなくなったというような話のようです。
蛇が出る...など今の羽田では考えられませんが、
今回の散策は昔の羽田を感じさせる場所が多く、
興味深いものになっていますね。
2025年9月27日土曜日
羽田エリア神社巡り ⑩ 弥五エ門稲荷神社
羽田猟師町の名主・鈴木弥五右衛門の名を冠する
鴎稲荷神社に続いては、弥五エ門稲荷神社へと向かいます。
距離にして200mちょい、再び入り組んだ住宅街を歩きます。
神社の名前ですが、天明年間 (1781年~1789年)に新田を開発した、
羽田猟師町の名主・鈴木弥五右衛門の名前にちなむそうです。
しかしながら、詳細なご由緒等については不明です。
ただ、鈴木弥五右衛門は穴守稲荷神社の創建にもかかわった、
当地での歴史を語る上では欠かせない人物ですので、
こういったお名前の神社が今に残るというのもうなずけますね。
2025年9月26日金曜日
羽田エリア神社巡り ⑨ 鴎稲荷神社
羽田七福いなりの五番目
藤崎稲荷神社に続いて鴎稲荷神社へと向かいます。
昔ながらの住宅街という感じの道を350m程歩くと到着です。
鴎稲荷神社の創建年代ですが、
鳥居に「弘化2年乙巳年3月吉祥日」と書かれていることより、
その頃に創建されたと推察されるようです。
と言うことは、1845年の創建となり、
相当な歴史のある神社であることがわかります。
また、鴎稲荷神社という名前は当時はこの付近に鴎が多く、
豊漁の兆しと言われていたことにちなんでいるとのことです。
そして、隣の境内社である厄神様にも参拝させて頂きます。
厄神様は「厄除の神様」として祭られているとのことです。
羽田と言えば今や空港ですが、
羽田と言えば漁業だった時代を今に伝える神社ですね。
2025年9月25日木曜日
羽田エリア神社巡り ⑧ 藤崎稲荷神社
元・旧家の邸内社
玉川弁財天に続いて藤崎稲荷神社を目指します。
距離的には150m程と近く、
住宅街の中に鎮座する神社です。
藤崎稲荷神社のご由緒については境内に説明はなかったですが、
Google Mapの口コミによれば、
元々は近隣の富裕な方の邸内社であったとのことです。
邸内社としてみると随分立派な社殿と言う感じで、
往時の繁栄を偲ばせますね。
羽田エリアは同様の神社が多いように思えます。
2025年9月24日水曜日
羽田エリア神社巡り ⑦ 玉川弁財天と水神社
羽田七福いなりの別格
福守稲荷に続いて玉川弁財天へと向かいます。
玉川弁財天は堤防沿いの道路を歩いてすぐの場所にあります。
玉川弁財天のご由緒書きは境内にありましたが、
完全に読めなくなっていました。
ただいずれにしましても、
詳細な創建年代はわからないようですね。
境内には水神社もございますが、
元々はこちらのみ当地にあったようですね。
そして、後から当地へ来られたと言えば、
境内東側には妙力地蔵尊がございます。
こちらも再開発の影響でこちらに来られたようですね。
池のフェンスなど若干の傷みが見られますが、
それが味になっている部分もあって、
戦後すぐの雰囲気を今に伝えているような感じが致します。
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