2024年3月31日日曜日

大森駅周辺散歩 ⑪ 神明山天祖神社

大田区山王の丘の上に佇む


荒藺ヶ崎熊野神社から再び大森駅方面を目指すことに致します。

山王三番街をしばらく歩きましたが、
この手の商店街としては健闘している感じで、
レトロなお店と新しいお店が旨く融合している感じです。








そして、大森駅西口を少し過ぎた場所にあるのが、
神明山天祖神社となります。









荒藺ヶ崎熊野神社と同様、なかなか険しい階段を登っていくことになります。

神明山天祖神社ですが、江戸時代は神明社と呼ばれていたようです。
享保年間 (1716年~1736年)に、当地の庄屋・百姓が相謀り、
伊勢神宮の参詣を目的に伊勢講を作ったのが始まりとのこと。

また、参拝には神社の側面の道路を登るルートもあり、
こちらのが楽にのぼれるとともに、
途中、庚申塔や馬込文士村散策のみちのモニュメントもあります。







大森駅前のにぎやかなエリアにあって、
駅前とは思えない昔ながらの雰囲気とのギャップが印象的でした。

2024年3月29日金曜日

大森駅周辺散歩 ⑩ 荒藺ヶ崎熊野神社

大田区山王の丘の上に佇む


善慶寺の新井宿義民六人衆の墓のすぐ近くには、
荒藺ヶ崎熊野神社の鳥居がございます。

善慶寺の参道が荒藺ヶ崎熊野神社の参道と繋がっているのか、
それとも参道は共通のものなのか?ちょっとわかりませんが、
お寺の山門をくぐった後に鳥居があるのはちょっと珍しいですね。











なかなかな急峻な階段を登っていくことになるので、
ちょっとしんどい感じでした。

そんなに距離はありませんが、
足元には気を付けた方がよさそうです。

そんな、荒藺ヶ崎熊野神社ですが、
詳細な創建年代は不明で諸説あるようです。

Wiki情報だと、

"承平天慶の乱で平将門討伐のために関東に赴いた藤原恒望の家臣の熊野武通が当社で戦勝を祈願したという話が伝わっている"

とのことで、いずれにしても相当な歴史のある神社であることは間違いないようです。

大森近辺の神社を色々と巡りましたが、
こちらが一番昔ながらの神社の雰囲気を色濃く伝えている感じですね。

帰りに境内社の衆善稲荷神社にも参拝させて頂きます。







この昔ながらの雰囲気というのは、
いつまでも残って欲しいと思いましたね。

2024年3月28日木曜日

大森駅周辺散歩 ⑨ 善慶寺 & 新井宿義民六人衆の墓

新井宿義民六人衆の墓のある善慶寺


代六天根ヶ原神社に続いて「新井宿義民六人衆の墓」があることで知られる、
善慶寺へと向かうことに致します。

大森ではメジャーな史跡であることより、
このような立派な参道を示す看板があります。





まずは、善慶寺のご由緒ですが、
1291年 (正応4年) に当所の増田三郎右衛門が、
日蓮聖人の直弟子である日法上人に帰依して開創したとのことです。






そして、著名な「新井宿義民六人衆の墓」ですが、
本堂の左手奥の場所にございます。









新井宿義民六人衆ですが、以下のような伝説が伝わっています。

"新井宿村の農民は、延宝年間(1673年から1681年)に領主木原氏の厳しい年貢の取立てに耐えかねて、村役人6人が直訴することを計画しました。しかし事前に知られ、延宝5年(1677年)6人全員が斬罪に処せられました。村人が、父母の墓という名目で建てた墓石には、墓参すると義民六人衆を同時に供養できる工夫がされています。都指定文化財。"
引用元:義民六人衆の墓

直訴で処刑とはオソロシイ話ではありますが、
その方々をきちんと供養するのも命がけといったところで、
そういったお墓に今に残るのはすごい話ですね。

2024年3月27日水曜日

大森駅周辺散歩 ⑧ 代六天根ヶ原神社

第六天社として創建


高稲荷神社から再び環状七号線方面へ向かい、
環七沿いを歩き「代六天根ヶ原神社」を目指します。





こちらの写真のように、根ヶ原児童遊園と一体化した神社なのですが、
児童遊園としての機能はほぼない感じですね。

遊園外に公衆トイレがあるくらいで、
ベンチすらないというのは逆に珍しい感じです。

そんな「代六天根ヶ原神社」ですが、
その名の通り、元々は第六天社と呼ばれていたそうですが、
詳細なご由緒等は不明とのことです。








神社自体は素朴な味わいのある感じで、
田舎でよく見られるような雰囲気です。

大田区でこういった風景が見られるのは、
うれしくなってしまいますね。

2024年3月26日火曜日

大森駅周辺散歩 ⑦ 高稲荷神社

山王の住宅街に鎮座


山本有三旧居跡から高稲荷神社へと向かいますが、
高稲荷神社はちょっと変わった立地になっており、
2本の道に挟まれた形なのですが、
下の道からは御覧のようにアクセスできません。





かなりぐるりと回って坂道を歩いて、
高稲荷神社へと到着致しました。









高稲荷神社の詳細なご由緒については不明でした。

ただ白い石碑には、「大正二年六月新築」とあり、
黒い石碑には、「高稲荷神社が建造されて百年が建ち」とあり、
大正時代に建てられた神社を新しくした神社のようです。

立地をうまく活かしたユニークな神社という印象です。

2024年3月25日月曜日

大森駅周辺散歩 ⑥ 山本有三旧居跡 & 山王三丁目の小祠

馬込文士村・散策の道


山王厳島神社から高稲荷神社を目指して、
今度は進路を南に取ることに致します。

Google Mapを頼りにこの散策をしているのですが、
この付近はやたらと「旧居跡」の史跡マークが目につきます。

なので、とりあえず、私でも馴染みの深い
「山本有三旧居跡」というのに行ってみました。





「旧居跡」と言っても、パネルが立っているだけです。
しかしながら、有名文士の簡潔な説明に加えて、
当地に住んでいた年代なども記載されていて、
散策が楽しくなる要素は大ですね。

また、こちらは片山広子旧居跡でもあったとのことです。
「大森の貴婦人」と呼ばれていたそうで、
こういう興味深いパネルから、
実際の作品を読んでみようという気にもなりますね。

また、こちらの近くには、
Google Mapに記載のない小祠もございました。






駐車場の入口に佇む感じですが、
入り組んだ道と文士がかつて住んでいた事実を掛け合わせると、
昔の当地の景色が頭に思い浮かんでくる感じがしますね。