アサノコンクリート株式会社深川工場です。
アサノコンクリート株式会社は太平洋セメント株式会社の直系生コン会社です。
太平洋セメント株式会社は、1998年に秩父小野田(1994年に秩父セメント、
小野田セメントが合併)と日本セメント(1947年に浅野セメントから改称)が
合併して設立されたセメント業界最大手の企業です。
(アサノコンクリート深川工場) |
そんなアサノコンクリート株式会社ですが、こちらの工場の前にあるのが
「本邦セメント工業発祥之地」の石碑です。
(本邦セメント工業発祥之地) |
こちらは日本最初のコンクリート工場があった場所で、江東区史跡となっています。
太平洋セメント株式会社による説明が簡潔でわかりやすいので引用致します。
セメント工業発祥の地碑
当地は日本で初めてのセメント工場があった場所です。
明治8年、工部省が本格的なセメントの製造に成功しました。
上図手前の隅田川、右側の仙台堀などの泥土を原料の一部として使い、
試行錯誤の末、外国品と遜色のない国産のセメントを作り上げました。
明治16年、当社創業者のひとりである浅野総一郎が払い下げを受け、
その後民間のセメント工場として発展を遂げました。
平成16年5月 太平洋セメント株式会社
(江東区史跡 セメント工業発祥の地碑) |
石碑のお隣にはコンクリートブロックがありますが、
これは何と明治27年(1894年)に製造されて、
横浜港防波堤の基礎として海中に沈設されたものとのこと。
昭和6年(1931年)に改築に際し引き上げられたものが展示されています。
この日は雨だったので、海中にあった雰囲気がちょっと漂っていますね。
(1894年製のコンクリート) |
(こちらも古そうです) |
更に隅田川寄りには、浅野セメント初代社長・浅野総一郎氏の銅像もありますね。
(「セメント王」にして「日本の臨海工業地帯開発の父」 浅野総一郎氏の銅像) |
さてここまで来たのならば、もう一か所寄るべき場所がございます。
それが読売江東ビル敷地内にある「平賀源内電気実験の地」の石碑です。
(平賀源内電気実験の地) |
日本国内で本格的なセメント製造が成功した明治8年(1875年)から
遡ることおよそ100年前の1776年(安永5年)に、
平賀源内が日本で初めてエレキテル(摩擦起電機)の復元修理に成功しました。
平賀源内は清澄在住だったのですね。
こういった時代の違う史跡が隣り合っているのは不思議な感覚がしますね。
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