旧陸軍火薬庫の火災避け
蓮沼氷川神社を後にして向かうのは「末広稲荷大明神」です。
地元のローカルな商店街を抜けて都営住宅が立ち並ぶエリアへ。
ちなみに、こちらの協栄通り睦会ですが、
左手が板橋区、右手が北区となっていて、
こういうのはちょっと珍しいのかな?と思いました。
都営桐ヶ丘一丁目アパートの一画に位置し、
鮮やかな朱色で異彩を放つのが末広稲荷大明神です。
末廣稲荷大明神のご由緒については、
境内に石碑がございますので引用致します。
" 京都の伏見稲荷大明神を本山に戴くこの稲荷は、明治の初めから昭和二十年の終戦まで旧陸軍が所有しておりました。明治五年、赤羽郷に兵器支廠赤羽火薬庫が完成し、火薬庫の災難除けに稲荷神社を祀り、毎年初丑の日にお祓いをうけ無事を祈願していました。昭和二十年に終戦を迎え、火薬庫跡地は、海外引揚者や戦争被災者の住居用として転用され、稲荷神社も群所有から桐ヶ丘氏子会と移転されました。その後の団地計画に伴い神社敷地が狭められたため、現在地に移転されました。依頼近辺の守護神として鎮座しています。 "
以前参拝させて頂いた四本木稲荷神社も、
かつては十条自衛隊駐屯地東側の稲荷公園内にあったもので、
軍にゆかりの神社が北区には多いという印象です。
住宅街にある神社なので一見落ち着いた雰囲気ですが、
目の前の通りは交通量も比較的多く、
さすが都内といったところですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿