案内版に「村の鎮守の八幡神社」と記載されていますように、
こちらは上田端の鎮守であり、別当寺はお隣の大龍寺でした。
(下田端の方は、既にご紹介した「田端八幡神社」が鎮守となります。)
(劇団文化座 - 1942年に結成とのこと) |
(上田端八幡神社) |
そんなわけで、御由緒は田端八幡神社と同様、
1189年 (文治5年) に源頼朝が当地の豪族である豊島氏とともに、
奥州藤原氏一族を平定し、帰路に鶴岡八幡宮を勧請して創建されたと言われています。
また、境内社の白髭神社は、争いの杉の伝承を今に伝えているとのことです。
(残念ながら杉は現存しないようですが)
(拝殿) |
(本殿) |
(境内社 - 白髭神社) |
(境内社 - 大山祇神社) |
(境内社 - 稲荷神社) |
こちらの神社ですが、境内付に近児童公園があるスタイル。
個人的にはこの地域との一体感のようなものが好きです。
そんな境内は昔ながらの神社の雰囲気を残しています。
子供の頃行った近所の神社の雰囲気に似ていると言いましょうか。。。
そんな上田端八幡神社のお隣は「大龍寺」がございます。
こちらは正岡子規の墓所があることでも有名ですが、
真言宗霊雲寺派の寺院です。
こちらは一転、近代的な佇まいの寺院で、
本堂は圧倒的な迫力がありますね。
(大龍寺山門) |
(大龍精舎 & 正岡子規墓碑) |
(大龍寺本堂) |
これにてメインの神社巡りは終了となります。
帰りは「八幡坂」を通り、田端駅へと向かいます。
こちらも田端文士村巡りでは重要な場所になります。
再び、教育委員会の案内を引用致します。
坂の名は、坂下にある八幡神社に由来します。
坂下の上田端児童遊園のところにあった紅葉館に小説家の堀辰雄が下宿していたほか、
この坂の近くには、小説家の菊池寛、詩人の室生犀星、画家の倉田白羊、
彫刻家である吉田三郎や池田勇八が住んでいました。
芥川龍之介は、その随筆に
「踏石に小笹をあしらったのは、詩人室生犀星の家」
と書いています。
昭和63年3月
東京都北区教育委員会
(八幡坂) |
このエリアは、田端文士村散策という観点からもう一度来てみたいですね。
実は文士村的なスポットについてもいくつか回りましたが、
ちょっと細切れになった印象なので、今回はカットしました。
少し前に行った馬込同様、田端にも文学スポットが多いです。
すべてをカバーするのは無理ですが、学生時代に好きで読んでいた
「室生犀星」を軸に街歩きをしてみようかな?と密かに考えています。
(田端文士芸術村の案内板 - 多くの芸術家がこのエリアに居住していたのがわかります) |
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