聖路加国際病院の周りをちょっと散歩すればわかりますが、数多くの記念碑が建っているのが
わかります。
ここ明石町は、日本の学問において、重要な役割を果たした場所です。
時代を遡ること1774年(安永3年)、「解体新書」が刊行されました。
前野良沢らは、明石町にあった中津藩奥平家の中屋敷でこの解体新書を完成させました。
それを記念し「蘭学事始の地」の碑があります。
また、同屋敷は1858年(安政5年)に福沢諭吉が慶應義塾の前身の蘭学塾を開いた地
でもあることから、「慶応義塾開塾の地」の碑も並んであります。
また、この2つを総称して「日本近代文化事始の地」と呼ばれています。
(聖路加タワー、明石町では圧倒的な存在感です) |
(「日本近代文化事始の地」の案内板) |
(慶応義塾開塾の地」の碑・正面) |
(慶応義塾開塾の地」の碑・横から) |
(「蘭学事始の地」の碑) |
また、明石町は、1869年(明治2年)に築地居留地が設けられたことより、
西洋文明輸入の最先端の街となりました。
その事から、多くの学校(特にキリスト教系の学校が多いようですが)の発祥の地でもあります。
そういったイメージに比べて、古い建物はあまり多くない感じがしますが、圧倒的に多い、
建学の碑の数々を見ると、この地が、150年近く前には時代の最先端の地であることがわかり
感慨深いものがあります。
(明石小学校グランド角にある築地外国人居留地跡の看板、 居留地時代のレンガ堀遺構が一部残っています) |
(ガス街灯の柱もあります) |
明石町へのアクセスですが、東京メトロ日比谷線・築地駅か東京メトロ有楽町線・新富町駅が
便利です。今回は築地駅から向かうことにします。
巨大な聖路加タワーがあるので道に迷うことはないでしょう。
聖路加へ向かう途中に、「電信創業之地」に寄ります。
当地、運上所内に設けられた「電信機役所」から横浜裁判所の間(約32Km)で
日本初の公衆電気通信がサービスを開始しました。
このことより、この地が「電信創業の地」とされています。
この石碑は、都営明石町第二アパート10号棟の敷地内、角付近に建っています。
ちょっと注意しないと通り過ぎてしまいそうです。
(都営明石町第二アパート10号棟、写真の右隅に碑があります) |
(「電信創業の地」の碑) |
(電信創業記念碑の由来が記載されています) |
こちらから、聖路加方面へ向かい、この周辺には学校の発祥地であることを示す碑が
多数あります。順不同で以下、紹介致します。
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