2014年4月9日水曜日

新橋の観光スポット巡り

 新橋と言えば、「サラリーマンの街」としてあまりにも有名です。
とことで、新橋で観光スポットなどあるのか?というテーマで散策しました。
参考資料として、フォートラベルの「新橋 名所・史跡 人気ランキング」 20件を
参照しました。

まずは新橋と言えばここ、SL広場。
そもそも新橋と言えば、日本鉄道発祥の地。そう考えると、駅前にSLがあるのも納得です。




















(テレビのサラリーマン・インタビューでお馴染み!)

このSLの歴史は案内板より知ることができます。
~案内看板より~
「このC11 292号は昭和20年2月11日、日本車輛株式会社で誕生しました。
3年間余りの戦争で物資もなくなりつつあった時の誕生で、蒸気溜、砂溜が角張っている。
いわゆる戦時型ですが、誕生後すぐ山陽本線の姫路機関区に配属となり、
中国地方のローカル線、播担線や姫新線など走りまわっていました。
走行距離は108万3975kmで、最初から最後まで一つの機関区にいたのは珍しいことです。
今回鉄道100年を記念して、国鉄の協力を頂き、ここに設置しました。」



















(SLを正面から)

SL広場の後は、堀商店ビルへと向かいます。
堀商店は1890年創業の建具金物の専門店です。
近代的なビルが立ち並ぶ新橋界隈で異彩を放つのがこのビル。
昭和7年建築のこの建物は歴史の生き証人と言えます。

























(威厳のある堀商店ビル)



















(モダンとい言葉がぴったりです)

↓ (参考)

http://www.hori-locks.co.jp/company_bilding.html

  再び新橋駅へと戻ります。
SL広場とは線路を挟んで反対側へと行くと、「鉄道唱歌の碑」と「C-58機関車の動輪」があります。こちらは、新橋の待ち合わせスポットとしても有名ですね。



















(「鉄道唱歌の碑」と「C-58機関車の動輪」)



















(鉄道唱歌の碑)



















(C-58機関車の動輪)

この「鉄道唱歌の碑」の正面に聳えるのが、「新橋駅前ビル」です。
新橋のビルと言えば、「新橋の九龍城」と呼ばれるニュー新橋ビルがあまりにも有名ですが、
新橋駅前ビルも負けてはいません。サラリーマンのおじさんの憩いの場として健在です。








































(昭和の香りが漂う「ニュー新橋ビル」)

新橋駅前ビルを後にし、今度は新しい街ともいえる汐留エリアへ。
まず向かうは日本テレビ。「宮崎駿デザインの日テレ大時計」が鎮座します。






















(宮崎駿デザインの日テレ大時計)

休日には観光客で賑わうこちらも、足早に過ぎ去るサラリーマンが主となります。
そして、こちらの空中通りはゆりかもめ・汐留駅直結の「はまかぜの道」となります。





















(人工的な感じがします)

こちらで「さざなみの道」へと分岐します。



















(銀座方面へ直結のさざなみの道)

こちらの通りを通って、銀座方面へと向かいます。

こちらが「芝口御門跡」。芝口御門は、宝永7年(1710年)に六代将軍家宣の時、
新井白石の建議により朝鮮使の入府に備えて国威を顕示するため建設されたものですが、
現在は残念ながら残っていません。(銀座8-10-8にあります)



















(ひっそりと佇む・芝口御門跡)

こちらからほど近くにあるのが「銀座柳の碑」となります。
中央区の木でもある柳。こちらには、「銀座の柳 (歌詞:西条八十、作曲:中山晋平)」
の歌詞と音符が刻まれています。





















(銀座柳の碑)

本来風情のある場所ですが、中国人観光客のバスが横付けされており、
かなり賑やかな感じでした。

さて、ここから、「東京汐留シオサイト5区イタリア街」へと向かいます。
イタリアをコンセプトにした街づくりですが。。。はたして?



















(イタリア街へ向かう途中の高架下トンネル、昔の新橋のイメージです)

ここイタリア街は、エミリア=ロマーニャ州のレッジョ・エミリアを
モデルにしているとのこと。
建物が新しすぎますが、なかなか統一のとれた街ではあります。

ここでの観光スポットとえば、「旧新橋停車場機関車用転車台」
汐留地区の開発計画の際に行った遺跡発掘調査によって見つかったとのこと。、
駅舎の基礎やホーム、機関車の方向転換用の転車台など様々な施設の跡が発見され、
ここ転車台は、直径12.5mほどで、明治5年6月20日に竣工し、大正3年前後まで使用されたと
考えられているとのことです。





















(旧新橋停車場機関車用転車台跡地)

さて、イタリア街を後にして、向かうは塩釜公園(塩竈公園が正式のようですが)です。
途中、新橋赤レンガ通りを経由致します。街並みがきれいになっているのもそうですが、
途中の案内板など観光を意識したものとなっています。



















(赤レンガ通り地図)










 (場所柄、居酒屋が多いです)


























 (赤レンガ通りの旗と旧地名の案内板)

  そしてここが塩竈公園です。ここは、昭和5年東京で唯一の町立公園として
開園した歴史のある公園です。それまでは仙台藩伊達家の所有だったものを、
関東大震災復興後、町民が憩える公園をつくろうという計画を伊達興宗伯が聞き
約400坪の敷地を愛宕下町会に寄付したもので、昭和47年に区立公園となったとのこと。



















(塩竃公園)

そんな歴史から、「伽蘿先代萩」の話の元となった、伊達騒動についての
説明板がこちらにあります。

























(伊達騒動の説明があります)

奥には、安産の神様塩竈神社があります。





















(安産の神様、塩釜神社)
ここからほど近いところにあるのが、本日の最終目的地である
「浅野内匠頭終焉之地」の石碑です。日比谷通り沿いの子の石碑。
立ち止まってみる人はほぼいませんが、なかなか立派な石碑ですね。




















(浅野内匠頭終焉之地の石碑)

ここも歴史のモニュメントであることは間違いありません。
という駆け足の新橋巡り。
意外と史跡が多いのですが、雑踏に埋もれて気が付かない、という感じです。
今後、都内の同様な史跡を訪れたいと思う次第です。



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