2025年11月1日土曜日

大森海岸から梅屋敷へ ⑩ 鷺之森稲荷神社

内川近くの住宅街にひっそり佇む


津島神社に続いて鷺之森稲荷神社へと向かいます。
内川にかかる新橋を渡り500m程の距離があります。



















この付近は住宅街という色彩が強いですが、
中小工場も点在している印象で、
私の持つ昔の大田区のイメージに近いですね。

そんな一画に鎮座するのが鷺之森稲荷神社です。























鷺之森稲荷神社のご由緒等については、
境内に説明板等はなくわかりませんでした。

ただ、周囲が駐車場で大きな公園も近いということで、
元々はもっと大きな神社だったのかもしれませんね。



2025年10月31日金曜日

大森海岸から梅屋敷へ ⑨ 津島神社

独特の雰囲気を持つ神社


最勝稲荷大明神から300m程歩いて、
次なる目的地である津島神社へと向かいます。



















津島神社のご由緒等につきましては、
境内に説明板等もなく、
また、ネット上でも詳細な情報がなく、
わかりませんでした。























ただ、境内は独特の雰囲気に溢れており、
神秘的な雰囲気は都内にいるとは思えない感じです。

それでいて、目の前の美原児童公園からは子供達の元気な声が聞こえるという、
何とも不思議な気持ちにさせる神社でしたね。




2025年10月27日月曜日

大森海岸から梅屋敷へ ⑧ 最勝稲荷大明神

廃墟化寸前の神社


王森稲荷神社に続いて最勝稲荷大明神へと向かいます。
距離にして20m程度と至近の場所にあります。


















第一印象としては既に廃止された神社なのか?
と言ったところですね。

鳥居に住居表示板が巻かれていたり、
境内に看板おかれていたりと、
打ち捨てられたような印象があります。






















最勝稲荷大明神のご由緒については、
境内に情報はありませんでした。

しかしながら、社殿などよく見るとしっかりとした建物であり、
元々はしっかりと維持管理されていたことが推察され、
現状はただただ残念という感じです。



2025年10月26日日曜日

大森海岸から梅屋敷へ ⑦ 王森稲荷神社

五穀豊穣の神


甘酒稲荷神社から平和島駅の高架をくぐって、
これからは京浜急行本線の東側のエリアを歩くことに致します。


















最初の目的地は平和島の駅からも近い、
王森稲荷神社となります。



















王森稲荷神社のご由緒については、
境内に説明がありましたので引用致します。
”由緒

当社社記に依れば天保年間武蔵國六郷領東大森美原の里内川の耕地に貝塚あり松欅茂れる処に小祠あり王森稲荷神社と称し諸人奉斎せしが此の頃農作物不作に悩める住民集まりて当社に豊作の祈願をなしたるところ其の後年々五穀豊穣となり土地大いに賑えり依って諸人の神徳を崇め五穀豊穣の神として不入斗村鈴ヶ森の神主森田左京衛に依頼し社殿を建立し一層崇敬の念を深める。
之当社の起源にして其の後この地益々発展するに及び境内の拡張整備を行う。
当初の社殿は戦災にて焼失其の後仮の社殿であったが昭和四拾四年十二月七日崇敬者の奉賛に依って再建遷宮式を行う。

大森東一丁目町会
王森稲荷神社氏子総代一同”





















平和島駅近くで第一京浜沿いに立地する神社なので、
周辺は賑やかなエリアにありますが、
境内は昔ながらの林の中にあるような雰囲気だったのが印象的でした。


2025年10月25日土曜日

大森海岸から梅屋敷へ ⑥ 甘酒稲荷神社

咳の病に霊験のある神社


大森神社から平和島駅周辺の商店街へと向かい、
200m程歩くと甘酒稲荷神社へ到着致します。


















甘酒稲荷のご由緒は境内に説明板がありました。
それによりますと、
元々は武蔵の国荏原郡不入斗村内川耕地貝塚稲生社と称されていて、
1852年3月に沢田町に再建されたとのことです。

そして、咳の病に霊験があると言われており、
平癒した後に甘酒を奉納されていた習慣があり、
甘酒稲荷と称されるようになったそうです。





















なお、こちらの神社も、
大森北六丁目南児童公園と一体化されているような感じになっています。

公園が結構広くて、
全体的にのんびりした雰囲気となっているのが良いですね。


2025年10月24日金曜日

大森海岸から梅屋敷へ ⑤ 大森神社

寄来明神・寄来神社として創建


穀豊稲荷神社から第一京浜へ再び戻り、
その通り沿いにあるのが大森神社となります。
距離にして300mくらいです。


















大森神社の創建は天正年間 (1573年~1592年) と伝えられているそうです。
当時はこの辺りは海辺でしたが、黄金に輝く像が岸辺に流れついた際、
村人は畏れ多いと沖へ流すこと三度に及ぶも元の場所に寄り来たったので、
社を建ててこの像を祀り寄来神社と称するようになったとのこと。
大森神社と改称したのは1932年(昭和7年)です。




















最後に境内社にもお参り致します。




















京浜急行本線と第一京浜に挟まれた立地なので、
少々賑やかな印象はあるものの、
重厚感のある雰囲気は今も健在という感じでした。


2025年10月22日水曜日

大森海岸から梅屋敷へ ④ 穀豊稲荷神社

入新井二丁目北町会会館と一体化


東貫森稲荷神社に続いて穀豊稲荷神社へと向かいます。
距離にして100mちょいとかなり近くです。


















穀豊稲荷神社のご由緒については、
境内に説明板等はございませんでした。

穀豊稲荷神社の社殿は入新井二丁目北町会会館と一体化しており、
新しい建物で現代的な雰囲気が漂っています。



















町内会と一体化している神社は多いですが、
これだけ現代的な建物にある神社は珍しいですね。


2025年10月21日火曜日

大森海岸から梅屋敷へ ③ 東貫森稲荷神社

東貫森児童公園が併設


子大権現から京浜急行本線沿いを南下し、
東貫森稲荷神社へと向かいます。

昔ながらの住宅街という雰囲気の道を歩き、
5分弱で目的地へ到着です。


















東貫森稲荷神社のご由緒等については、
境内に情報はありませんでした。

ただ、手水鉢等、歴史を感じさせるものが多く、
歴史のある神社であることを思わせます。





















また、東貫森稲荷神社ですが、
東貫森児童遊園が併設されており、
近所の憩いの場としての機能もあるようです。



















かわいらしい遊具がちょこんとあるのが、
昭和らしい雰囲気を醸し出していて良いですね。